2021年6月29日
(2021年7月5日加筆)「肖像権ソフトローの試み
~正式公開された『肖像権ガイドライン』を概観する~」
弁護士 福井健策 (骨董通り法律事務所 for the Arts)
肖像権、この厄介なもの
さて、一気に書き上げようと思う。何をか。ちょっと目にして気になってたけど、でもちゃんと読んだことはないんだよねという方のために、正式公開された「肖像権ガイドライン」を駆け足でマスターして頂こうという趣向だ。
肖像権。これは厄介な権利だ。いや、もちろん大切だ。誰でも自分の姿などを勝手に撮影されたり、公開されたりしない権利がある。人格権の重要な一側面だ。ただ、例えばこれが著作権ならば「著作権法」という法律がある。のべつまくなしに壁だとか機能不全とか言われる、実に気の毒でいたいけな法律なのだが、とにかく条文がある。だから困れば読めば良い。難解だけど、答えはまずはそこにある。
ところが、「肖像権」という法律はないのだ。ただ、じゃあ根拠の無い、お前の得意な疑似著作権みたいなものかというと、違う。立派に法的な権利だ。裁判所が判例で認めた権利なのだ。ただ条文がないから、例えばどんな場合に保護されて、いつまで保護されて、どういうケースなら本人の同意なく使って良いかなんてことはどこにも書いていない。判例の傾向を読み解くしかない。だから厄介この上ない(肖像権の解説は中川弁護士のこのコラムなど)。
さてその判例。よくある誤解で、「人の肖像が少しでも写ったら全部侵害だ」と思っている方がいるが、裁判所はそんなことは一言も言っていない。この分野で最も著名なのは2005年の最高裁判決だが、そこで裁判所は、要するに程度問題だと言っている。つまり、社会生活を営む以上は、自分の姿が写されたり人目に触れたりすることも時にはある。ある程度は我慢しなさいと言うのだ。いやそうはっきり書いた訳ではないけど。この我慢すべき一般的なラインを受忍限度という。これは「自分は特にカメラが嫌いで」といった要素はどうやらそこまで重視はしないらしく、一般的に撮影や公開もまあ我慢すべき状況、と言えるだろうか。それを超えて自分の姿が写されたり人目にさらされたりしたら違法、という訳だ。
で、この限度だが、次の6要素などの総合考慮で決まると言う。①被写体の社会的地位、②どんな活動を撮影されたか、③どこで撮影されたか、④どう撮影されたか、⑤何のために撮影されたか、⑥撮影は必要か、だ。公開の是非も、概ね同じ考え方を準用するらしい。
なるほど、理屈はわかる。というか裁判所はとりあえず正論を言おうとすると、この総合考慮という言葉を持ち出す節がある。そりゃそうだ。世の中のことはたいてい、総合考慮である。「総合考慮」と言っていれば、法律家はまあ安泰だ。
だがね、これは現場ではどうにも使いにくい。フローチャート化できないのだ。その意味で、この総合考慮という言葉は一見法律上の要件のふりをしつつ、実は要件ではないともいえる。どういうことかというと、例えば、著作権法で著作物の上演・演奏等が許される要件は3つだ(38条1項。本当はもっとある)。①非営利目的であること、②提供の対価を観客等から取らないこと、③実演家等が報酬を受け取らないこと、だ。これならフローチャート化できる。①から③まで全部イエスかノーで答えさせ、ひとつでもノーなら要件は充足しない。つまりその上演・演奏は許されない、という訳だ。
しかし、「総合考慮」はフローチャート化できない。例えば①の要素は不利でも②と③が有利なら総合的に考えて許す、なんて考えるからだ。これは実に現場泣かせだ。デジタル化社会では、時に1日に何十・何百という人々の肖像の撮影・公開の是非を考えないといけない。裁判のようにじっくりひとつのケースを総合考慮する時間なんてないし、現場の人間にそんな判断は荷が重い。
かくして、ルールの中途半端な理解と各人の思いと世間の目のようなものがないまぜになって、実に現場ごとにまちまちな対応を生んでいる。「ちょっとでも人が写ればなんでもモザイクをかけろ」派から、「目に見えるものは撮って流していい」派まで、バラバラだ。いずれも、到底お勧めできない。
誕生した「肖像権ガイドライン」
そこで、わがデジタルアーカイブ学会では3年越しの検討を経て、さる4月19日「肖像権ガイドライン」を正式公開した。これはどういうものかといえば、原型は弊所でかつて、いくつかのアーカイブ機関やフォトストックから依頼を受けて、肖像権処理のガイドラインを作成したことに遡る。その時に着想したのが「ポイント制」だった。といっても別に特別な思い付きではなく、総合考慮ということは各要素を重み付けして加算するのだから、本質的にポイント制的なのだ。過去の裁判例を参考に、いわば、それを可視化しようとしたに過ぎない。
2017年にデジタルアーカイブ学会が設立され、法制度部会長を仰せつかった際に、アーカイブにとって最大の壁のひとつ、肖像権問題を解決しようとなった。そこで数藤雅彦弁護士が率いる肖像権PTの面々(弊所の橋本阿友子弁護士もメンバーだ)が日夜裁判例の分析を続け、このポイント制を緻密に具体化して行った。PTから上がるガイドラインの叩き台を月1回の部会でもみ、PTが持ち帰るのを繰り返し、途中案を公開して自由参加で議論する肖像権ガイドライン円卓会議を何度も開催した。更にそこで呼びかけて、実験的にガイドラインを使って写真の公開判断を試みようという全国の教育機関やメディア団体を募り、数藤弁護士らが献身的に現場との共同作業を続けた。更にパブコメ、理事会の議を経て遂に正式版の肖像権ガイドラインを公開したのである。詳しい経緯は、上記リンクの正式版ガイドラインと解説を参照されたい。
内容を見てみよう。まずは、ステップ1と2。ここはフローチャートである。個人をおよそ識別できない写真等は肖像権の検討はほぼ不要だし、また、被写体から(その)公開の承諾まで得ているなら当然ながら肖像権の心配はないという訳で、こうした問題にならないケースをスクリーニングする。
ついでステップ3。ここは、検討したい個々の肖像写真にスポットをあて、類型ごとにポイントを付けて行く過程だ。下記に貼り付けよう。この加算減算によって0点以上となった肖像は、非営利のデジタルアーカイブ公開は可としている。マイナス点となったものはその程度に応じて、何らかの公開制限がふさわしいと考える仕組みだ。
そう、このガイドラインは非営利のアーカイブ公開を想定している。つまり最高裁の判断要素のうち、⑤の利用目的は、最初から固定している。とはいえ他の用途にも応用は可能だろう。その場合は、例えば出版社が刊行物で使うならこの公開可のラインをプラス10点以上とするとか、報道機関の報道利用ならマイナス10点以上とする、などの点数基準のアレンジをおこなう想定だ。
ポイント計算の内容
ポイント計算の各項目を少し解説しよう。「公人」、典型的には政治家だが、これはいわば全人格的に人々の評価にさらされるのがやむを得ない存在だ。よって、加点要素となる。加点は、つまり肖像権侵害になりにくい方向のベクトルだ。減点は、侵害の可能性を高めるベクトル。「時間の経過」、これは最高裁の6要素には明記されていない要素だが、やはり数十年という時の流れにより肖像は次第に歴史の一部となり、保護は弱まると考えた。最高裁基準②の「撮影された活動内容」の一要素と言えるかもしれない。一応50年で打ち止めているが、この後も加点して行く選択肢もあるだろう。
一度刊行物に載った肖像や作品として撮影された肖像は、やはり保護はやや弱まると考え、多少の加点要素にしている。あくまでもいずれも加点・減点要素に過ぎず、それひとつで決定的要素にはならない点がポイントだ(ただし長期間の経過はかなり決定打となる)。故人の場合、肖像権は人格権の一種なので死後は消滅するのが原則だが、裁判所は「遺族の敬愛追慕の情の保護」という形で、死者の人格権も間接的に幾分保護している。その観点で、故人であることや遺族の有無を加点要素として考慮した。
実際の写真にあてはめてみる
では、少し実際の写真でプラクティスしてみよう。
(朝日新聞デジタル2016年7月6日より) |
まずはこちら。ご記憶の方もいるだろうか。号泣議員こと野々村竜太郎氏の釈明記者会見の模様だ。当時、いや今でも、本事件についてもっともネット上で流布している写真のひとつである。
一応軽くモザイクはかけたが、モザイク無しであると仮定しよう。この肖像を、非営利のデジタルアーカイブで公開するのは可か否か(著作権はクリアされていると考える)。
点数を割り振ってみよう。
被写体の社会的立場:公的人物でプラス20。少なくともこの時点ではそうだった。また、この方は有罪確定しているのでプラス5。
撮影された活動:釈明記者会見である。公務又は公共へのアピール行為でプラス10、更に社会的事件でプラス10。
撮影された場所:記者会見場なので、公共の場でプラス15か、更に撮影を予定している場所でプラス5か。
撮影の態様:大写しでマイナス10。撮影承諾はあるのでプラス5。号泣は「一般に羞恥をおぼえる状況」でマイナス5か。刊行物で公表された写真でプラス10。
最後に、他の時点・他の人物の写真では意味がないため、代替性のない写真としてプラス10。
以上を総計するとプラス85。大きくプラスに振れた。
実際、講演などでこの写真を見て貰い、公開の是非を問うと通常は大多数の方は公開可と答える。
次いでこちら、これは熊本大地震での避難所の模様だ。やはり報道写真として広く流布されていた。これをモザイク無しでアーカイブ公開するのはどうだろうか。
(毎日新聞デジタル2016年4月25日より) |
複数の人物がいる。こういう場合はもっとも侵害にあたりやすそうな方にフォーカスして検討すると良いが、中央のおふたりだろう。
被写体の社会的立場:震災という事件の被害者でマイナス5。
撮影された活動:社会性のある事件でプラス10、私生活でマイナス10か。
撮影された場所:避難所は通常マイナス10だが、立入承諾があると思えるため減点せず。
撮影の態様:大写しなのでマイナス10。本人への取材を伴っており撮影承諾は推定できるのでプラス5。「一般に羞恥をおぼえる状況」かは疑問だが、仮にあたるならマイナス5か。刊行物で公表された写真でプラス10。
以上を総計するとマイナス5。モザイク・承諾無しの非営利アーカイブ公開は、まさに微妙な判断といえそうだ。
どうだろう、皆さんの直感とも近かっただろうか。
ここで大きな注意を。各点数はあくまで学会で標準的に割り付けたものに過ぎず、個別の法的アドバイスではない。現場ごとの自主的な指針を持って頂くのが目的なので、点数は現場の実態に応じてアレンジがあって良い。いわばガイドラインは、担当者が直感や場の空気で決めるのでなく、各現場が判断の枠組をもち、果たしてどんな基準でそう判断したのか事後的に説明できるようにしようというものだ。
もちろん、部会PTではこのポイント制での評価を、過去の裁判例での各裁判所の判断と照合する作業を丁寧におこなっている。ほとんどのケースで、ガイドラインでの判断結果と裁判所の判断は一致した。
それでも正解はひとつではないし、ガイドラインもまだまだ改善の努力が必要だろう。ただこの試みが、人々の利益を守りながら、過度な自粛を防いで有益なアーカイブ事業やビジネスを進めて行くうえで、情報社会のひとつの羅針盤となることを願っている。
以上
(2021年7月5日加筆)
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