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コラム column

2013年5月29日

著作権肖像権・パブリシティ権アーカイブ

「肖像権孤児作品を考える
    ―豊かな『知の土壌』を持つアーカイブ先進国を目指して」

弁護士  中川隆太郎 (骨董通り法律事務所 for the Arts)


1.はじめに

近年、欧州や米国を中心に、過去の書籍や絵画、写真、映像、音楽などのありとあらゆる作品や関連する資料をデジタル化し、アーカイブ(収集・保存した記録をまとめたもの)としてネット上で公開するという動きが加速しています。その最たる例がEUのEuropeanaで、2011年の時点で実に2100万点のデジタル化を終えており、2015年には3000万点もの作品を公開するとしています(例えば、「モーツァルト(mozart wolfgang amadeus)」と検索するだけで、3808点もの音楽作品をネット上で視聴することができます)。

このような動きが加速している最大の理由は、「これまでの文化」をなるべく多く後世に伝えることこそが、「これからの文化」の担い手たちに対し、多様な文化を育むための「知の土壌」を遺すことにほかならない(ひいては、それが文化・コンテンツ産業の発展につながる)と考えられているからです。

しかし、こういった文化作品・資料のデジタルアーカイブを作り上げる上で、孤児作品<オーファン・ワークス>と呼ばれる問題がますます大きな障害となっています。孤児作品問題とは、ある作品について許諾を得て利用したいが、調べても権利者が見つからず、作品を利用できないという問題です。この孤児作品問題のうち、最大の課題である著作権の問題(孤児著作物問題)については、EU vs.米国による「デジタルアーカイブ戦争」の影響もあり、ようやく日本でも盛り上がりの兆しを見せつつあります(福井弁護士のコラム参照)。無論、これ自体大きな一歩ですが、孤児作品対策として取り組むべき課題として、実はこのほかにも所有者不明作品や肖像権者不明作品の問題があることは、まだあまり知られていないように思います。そこで今回は、このうち肖像権者不明作品、いわば「肖像権の孤児作品」を巡る問題にスポットを当て、日本がアーカイブ先進国を目指す上で避けては通れないこの問題について、解決の方向性を探りたいと思います。

2.肖像権の孤児作品を巡る第一の悲劇―肖像は黙して語らず

(1)デジタルアーカイブと肖像権

文化・芸術作品や関連する各種文化資料のデジタルアーカイブは、前記の通り、これまでに収集された過去の作品・資料をなるべく広く、網羅的にデジタル化し、公開することを目指しています。その対象の中には、人物の顔や姿が写っている写真や映像、さらにはそういった写真を含む書籍や雑誌の記事など(以下まとめて「肖像写真」といいます)も多数含まれています。しかし、これらの肖像写真の中には、そこに写っている肖像本人が見つからないものも多いようです(特に古い作品)。

もちろん、時の政治家や人気俳優などの著名人を撮影したものであれば、そこに写っているのが誰なのかすぐに判明し、本人や関係者にコンタクトを取ることができる場合もあるでしょう。しかし、撮影の申し入れをせずに街頭の様子として一般人を撮影したもの(例:真夏日のニュース用素材として、街中で男性がアイスクリームを食べる様子を撮影した映像など)や、街頭インタビューのように、撮影の申し入れはしているものの、特に連絡先を確認せずに撮影されたものについては、そこに写っている人物を探し当てるのは非常に難しいといわれています。

また、一般人を対象としたドキュメンタリー番組などの作品については、制作当時・放送当時は、取材対象者と連絡のつくケースがほとんどのようですが、制作・放送から時間が空けば空くほど、取材対象者と連絡がとれなくなっていく傾向にあるそうです。

この点、NHKの大河ドラマのような非常にメジャーな番組でさえ、数年前の作品で既に2人の実演家と連絡がつかず、10年ほど前の作品では全実演家の約6%、20年ほど前の作品では全実演家の約9%弱、そして、30年ほど前の作品では実に全実演家の20%近い実演家が、見つからなくなっているそうです。一般人よりも連絡が容易であるはずの実演家でさえこの数字ですから、一般人については、おそらく更に高い割合で本人と連絡がつかなくなっていると推測されます。

そして、肖像本人が見つからないという事実は、デジタルアーカイブの現場において深刻な問題をもたらします。このような事実は、とりもなおさず肖像本人から許諾を得ることができないことを意味し、ひいては(下記の通り、無許諾での公表が肖像権侵害とならない場合を除き)その作品についてデジタルアーカイブにおいて適法に公開できないことを意味するからです。しかも、1つの作品の中に1点でも利用できない肖像写真が含まれていれば、その作品全体が利用しがたくなります。例えば、1冊の本の中に1枚でも利用できない肖像写真が含まれていれば、(マスキングやモザイクなどの処理をしない限り)その本全体について、デジタルアーカイブでの公開は難しくなります。また、例えば全10話で1シリーズというシリーズ物の一部の回が利用不可能であれば、そのシリーズ全体の利用意義・利用価値が大きく損なわれかねません。これらを考慮すると、この問題がどれだけ深刻な影響を及ぼすものか、お分かり頂けるかと思います。

このように、肖像本人が見つからない「肖像権の孤児作品」が多数存在することが、肖像写真や映像、肖像写真を含む書籍・記事などのデジタルアーカイブ化、そしてその積極的な利用を大きく妨げる一つ目の要因となっています。これが、肖像権の孤児作品を巡る第一の悲劇です。

(2)そもそも肖像権とは?

ここで、肖像権についておさらいしておきましょう。

人は皆、自分の肖像を無断で撮影されない権利や、自分の肖像が写った写真を無断で公表されない権利を持つと考えられています。こういった権利のことを、一般に、自分の肖像に関する権利、すなわち「肖像権」といいます。

もっとも、誤解されやすい点ですが、肖像権も無制限に認められている訳ではありません。つまり、肖像本人に無断で写真を撮影、公表しても、不法行為にならない場合があると考えられています(典型的には、公共の場所で行われるお祭りなどのイベント全体の様子を撮影する場合)。

したがって、デジタルアーカイブにおいても、肖像本人に無断でデジタルアーカイブに保存し、公開しても、なお適法と判断されるケースもあると思われます。

では、他人の肖像を無断で撮影する行為や、肖像写真を無断で公表する行為は、どのような場合に違法となるのでしょうか。この点が、肖像権一般に共通する大きな問題として、肖像権の孤児作品を巡る第二の悲劇へとつながります。


3.肖像権の孤児作品を巡る第二の悲劇―予測できず二の足を踏む

先ほど述べた、肖像の無断「撮影」が不法行為となる場合の判断基準について、最高裁[PDF:14KB]は以下のように述べています。

ある者の容ぼう等をその承諾なく撮影することが不法行為法上違法となるかどうかは、被撮影者の社会的地位、撮影された被撮影者の活動内容、撮影の場所、撮影の目的、撮影の態様、撮影の必要性等を総合考慮して、被撮影者の上記人格的利益の侵害が社会生活上受忍の限度を超えるものといえるかどうかを判断して決すべきである。

何やら堅苦しい表現ですが、要は「いろんな要素を広く考慮して違法かどうか決めましょう」というものです。この基準によれば、肖像本人が政治家など公的な立場にあるか〔社会的地位〕や、肖像本人にとって知られたくない内容か〔活動内容〕、公共の場所で撮影されたものか〔撮影の場所〕など、あらゆる要素を考慮して不法行為に当たるかどうかが判断されます。

この基準は、一見すると特に問題はないようにも思えます。一般に、肖像の無断撮影が違法かどうかを検討する場合には、いろんな要素を幅広く、多角的に検討した方が妥当な結論を導きやすいからです。

しかし、実はここには1つの大きな落とし穴があります。それは、このような基準では、肖像写真を撮影する人にとって、これから行う撮影が適法なのか違法なのかを事前に予測することが難しいという点です。そのため、明らかに適法である場合を除き、「この撮影は違法かもしれない」という懸念から、肖像写真の撮影に二の足を踏んでしまうという萎縮効果が生じてしまいます。この点は、表現の自由を不当に制約するものとして批判されています。

また、適法に撮影された肖像写真の公表(*1)に関する一般的な判断基準に至っては、そもそも確立された基準さえ見当たらない状況です(*2)

そのため、日々肖像写真の保存・公表の可否の決断を迫られるデジタルアーカイブの現場では、肖像本人の許諾が必要との判断になりがちで、多くの場合肖像本人が見つからないため、結果としてアーカイブ利用を断念してしまうケースも多いようです(現に、デジタルアーカイブの現場の方に話を伺うと、「肖像権侵害の可能性があるものは基本的に落とす(利用しない)」との対応をとられている例が多いようです)。これが、肖像権の孤児作品を巡る第二の問題点です。

ここまでお話ししてきた現状を簡単にまとめると、以下のように整理することができます。

  肖像本人とコンタクト可能な作品 肖像本人が見つからない
「肖像権の孤児作品」
(※特に一般人を撮影した作品については、このケースが多い)
肖像権侵害が成立する 肖像本人の許諾を
得る必要がある
→許諾が得られない限り、
利用不可
肖像本人と
コンタクトがとれないため、
そもそも肖像本人の許諾を
得ることができない
→すべて利用不可
肖像権侵害が成立するか
微妙・不明

(※このケースが多い)
肖像本人に
コンタクト可能だが、
そもそも肖像権侵害の成否が
不明
→肖像本人の許諾を得るべきか
判断が難しい
肖像本人と
コンタクトがとれないため、
そもそも肖像本人の許諾を
得ることができない
→許諾が得られないことを
前提に、リスクを冒して
利用するか否かの
判断を迫られる
肖像権侵害は不成立 法的には肖像本人の許諾なしで
利用可能
(著作権等の問題は
別途生じうる)
法的には肖像本人の許諾なしで
利用可能
(著作権等の問題は
別途生じうる)


特に一般人を撮影した作品においては、肖像権者が見つからない作品が多い(表の左右でいえば右側のケースが多い)というのが一番目に取り上げた問題点です。そして、肖像権全体の大きな問題として、肖像権侵害の判断基準が不明確であるという二番目の問題(表の上下でいえば中段のケースが多い)が重なり、肖像権の孤児作品は、二重の意味で利用が制約されているといえます。

4.海外の動向

肖像権の孤児作品問題そのものについては、海外の動向に目を向けてみても、筆者の知るかぎり、EUでも米国でも、正面からこの問題に取り組む立法の動きはまだ見当たりません。この点は、EUや米国が競い合うように立法の動きを見せている孤児著作物問題とは状況が異なります。

しかし、肖像権とゆかりの深いプライバシー権の問題に焦点を当てると、EUも米国も、それぞれに興味深い動きを見せています。

先ほど、日本における肖像権侵害の判断基準について、侵害となるかどうかを事前に予測することが難しい点が、表現の自由との関係で批判されているというお話をしました。まさにEUも米国もこの点を意識して、プライバシーについて「このルールさえ守れば適法」となる規定(一般に「セーフハーバー」といいます)を設けようとしています(EU:2012年1月に欧州委員会が公表したEU個人データ保護規則案[PDF:426KB]、米国:2012年2月にホワイトハウスが公表した消費者プライバシー権利章典に関する文書[PDF:589KB]参照。もっとも、私企業に対する政府当局の規制における違法・適法の判断基準を明確にしようという話なので、私人間の不法行為の問題とは直結しない点には注意が必要です。なお、上記内容の詳細を含め、プライバシーとセーフハーバーに関する欧米の動向については、生貝直人さんの論文「イノベーションと共同規制―米国・EUにおけるプライバシー分野のセーフハーバー概念を題材として―」に詳しくまとめられていますので、こちら[PDF:613KB]をご覧ください)。

5.アーカイブ先進国を目指して―解決を探る1つの試案

このように、EUや米国は、肖像権とゆかりの深いプライバシー権に関して、プライバシー権保護と表現の自由の調和を適切に実現すべく、ルールの明確化とそれによる予測可能性の確保を志向して、立法による解決の道を模索しています。

また、デジタルアーカイブの対象となる作品や資料群は、(特に古いものについては)状態がよくないものも多く、もはや残された時間はあまりありません。一刻も早くデジタルデータとして保存し、後世につなげるべく公開されることが望まれます。

このような現状を踏まえると、日本は、世界に先がけて、肖像権の適切な保護とのバランスを図りつつ、肖像写真のデジタルアーカイブ利用を促進する立法政策について検討すべきタイミングに来ているのではないかと思います。そして、その検討に当たっては、これまでお話しした肖像権の孤児作品を巡る2つの悲劇(「肖像権者所在不明」問題と「肖像権侵害の判断基準の不明確性」問題)を同時に解消する、いわば「両取り」的な解決の方向性を模索するべきでしょう。ということで、日本における今後の議論のきっかけとなることを祈りつつ、(大胆にも)筆者は1つ試案を考えてみました。


【肖像権の孤児作品利用に関するセーフハーバー案】


(1) 非営利の文化施設等は


(2) あらかじめ決められた方法に従い誠実に調査したにもかかわらず肖像本人が見つからない場合は


(3) 肖像写真の内容に照らして肖像本人が公開を望まない可能性が高いケースを除いて


(4) 肖像本人の許諾なく非営利のデジタルアーカイブで保存・公開しても、肖像権侵害による損害賠償責任を負わないものとする


(5) ただし、将来、肖像本人が現れ、公開停止を希望した場合にはただちに公開を停止する(オプトアウト)

(1):「これからの世代に『知の土壌』を遺す」という文化作品・資料のデジタルアーカイブ化を進める目的と、肖像権の適切な保護とのバランスを考慮すると、非営利の文化施設など、その目的に最も即した主体に限定することが望ましいのではないかと考えます。もっとも、その範囲についてはさらに検討が必要です。


(2):「これだけ探しても見つからないなら仕方ない」と肖像権者を納得させるだけの調査方法についてあらかじめ定めておいて、その方法に従って誠実に調査することを要件とするものです。ここでは、肖像権の孤児作品を巡る第二の悲劇を解消するため、表現の自由を尊重し、基準としてなるべく明確なものにすることも目的としています。


(3):この点も、肖像権の適切な保護への目配りの1つです。水着姿や裸体、事件・事故現場、住所等の他の個人情報と容易に紐づくケース(例:自宅前での写真)など、常識的に考えて本人が公開を望まない可能性の高いセンシティブな類型の肖像写真については、当然、無許諾での公開を法律上認めるのは抑制されるべきです。また、このような例外の対象範囲については、ガイドラインの策定などにより類型化し、事前の予見可能性を確保する必要があると考えています。


(4):免責の効果を定めたものです。肖像本人の許諾を得られなくても、一定の場合に限り、その利用につき損害賠償責任を免責することで、肖像権の孤児作品を巡る第一の悲劇が一部解消されます。


(5):あくまでも「肖像本人をきちんと探しても見つからないから許諾が得られない」という前提の上に成り立っている制度なので、当然、肖像本人が現れて公開停止を希望すれば、ただちに公開を停止できる枠組みとする必要があると思います。


6.おわりに

さて、肖像権の孤児作品に関する2つの問題点をご紹介する本コラムも、気づけば最後は立法論にたどり着いてしまいました。あくまで議論のための試案なので、当然異論もあるでしょう。実現する上での課題は文字通り山積していると思われます。しかしながら、デジタルアーカイブの充実による豊饒な「知の土壌」の形成、そしてその先にある、多様な文化の実現・継承という創造のサイクルを視野に入れたとき、この問題について、今後検討を重ね、1つ1つ課題の克服を試みる価値は十二分にあると信じています。現在、大ブレイク中の例のキャッチフレーズではありませんが、日本が欧米に先駆けて「アーカイブ先進国」となるためには、今がまさに勝負どころだと思います。肖像権の孤児作品対策についての今後の議論の高まりを期待しつつ、私自身、この問題について引き続き検討していきたいと思います。

以上



※本コラムの執筆に際して、福井弁護士、東京藝術大學の生貝直人さん、そしてNHK知財展開センターの宮本聖二さんに有益なご示唆をいただきました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。なお、言うまでもなく、本コラムの文責はすべて筆者にあります。



*1:
肖像写真の撮影が違法である場合は、その公表も違法であると前記最高裁判決が判断しています。

*2:
従前の裁判例では、肖像写真の掲載などの表現行為(公表行為)が公共の利害に関する事項に関係し、かつ、専ら公益を図る目的でなされ、しかも公表内容がその目的に照らして相当であれば適法と判断する例が比較的多かったように思います。しかし、近年は、前記最高裁判決において肖像写真の無断撮影に関する最高裁の判断基準が示された影響からか、従前の裁判例とは異なり、肖像写真の撮影に関する前記最高裁判決の枠組みをベースとした基準で判断する裁判例(東京地裁平成21年9月29日判決・判タ1339号156頁や東京地裁平成22年9月27日判決・判タ1343号153頁など)も見られるようになっており、現段階では、いずれも確立された基準とまでは評価しがたいと思われます(共通項は「社会生活上受忍すべき限度を超える」という抽象度の高い基準のみ)。


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