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コラム column

2022年10月19日

(2022/10/24追記)

著作権裁判教育音楽

「ついにJASRAC・音楽教室裁判が最高裁決着
 論点と、判決の影響をもう一度駆け足で考えてみる」

弁護士  福井健策 (骨董通り法律事務所 for the Arts)

さて、いよいよJASRAC・音楽教室裁判の最高裁判決が10月24日と迫りました。(※判決を受けて、末尾に追記しました)
2017年を迎えJASRACが音楽教室からの使用料徴収の方針を発表して、世論が沸騰。ヤマハなど音楽教室側は57万人の反対署名を提出するなど徹底抗戦の姿勢を示したのが発端でした。
約250の教室事業者がJASRACの著作権が及ばないことの確認を求めて逆提訴して以来、6年ごしの大型裁判がついに決着の時を迎えます。
この間の経緯や社会の反応、裁判の影響については、このコラムとその後の追記を参照いただければ。

知財高裁の判断をざっくりと復習する

ここまで、一審の東京地裁はJASRAC勝訴。二審である知財高裁は、「教師による模範演奏は演奏権の侵害」としつつ、「生徒による練習演奏は演奏権の侵害ではない」と判断して、音楽教室の一部逆転勝訴でした。
知財高裁はいったいどう判断したのか。これが基本なので出来るだけ簡単におさらいしておきましょう。1000字くらいで。

問題の演奏権とは著作権法上、「公衆に直接聞かせることを目的とする演奏」に及びます(22条)。
このうち、まず教師の模範演奏は、教室での個人・少人数レッスン、生徒の自宅レッスンなどを問わず、「公衆に直接聞かせるための演奏」なので演奏権の侵害とされました。つまり、JASRACへの支払と演奏許可がいる。ロジックをざっくりと記せば:

①そもそも法的に演奏しているのは誰か。これは社会・経済的な総合考慮で決まり、音楽教室(事業者)が「演奏主体」である。この点は、個人教室であろうが、教師が教室側から雇用・委託されていようが、変わらない。

②その音楽教室から見て、生徒は「公衆」である。個人的なつながりがない「不特定」な人々はたとえ少数でも「公衆」にあたり、生徒は基本的に誰でも受講契約を結べるので「不特定」である。この契約上の関係は入会後も続くので、生徒は(教師とどんなにつながりが深まっても)「不特定」であり続ける。

③演奏には「直接聞かせる」という目的意思があれば十分で、(鑑賞・感動といった)それ以上の要素は不要。

よって、教師の模範演奏は「公衆に直接聞かせるための演奏」であり、JASRACの許可が必要。

他方、生徒による演奏「公衆に直接聞かせるための演奏」ではなく、演奏権の侵害はないとされました。つまり、JASRACへの支払と演奏許可は不要。ロジックは:

①生徒は自らの練習のために演奏しており、契約で一定レベルの演奏を義務付けられてもおらず、「演奏主体」は音楽教室ではなく生徒である。教室側が曲を選定したり、楽器を提供しても、それは副次的な要素に過ぎない。

②生徒は教師に聞かせるために演奏するが、教師は「公衆」でないことは当事者間に争いはない。また、生徒自身にとって自分は「公衆」にあたらないことも当然。

③なお、仮に演奏主体が音楽教室だとしても、その場合には音楽教室が自分自身である教師に向けて演奏しているだけなので、やはり「公衆」は存在しない。

よって、生徒の練習演奏は「公衆に直接聞かせるための演奏」ではなく、JASRACの許可は不要。

・・・ふむ。なるほど。

生徒の演奏部分についてJASRAC再逆転があるか

その後両者が上告し、最高裁は7月、生徒による演奏部分だけを対象に弁論を開くと決定して、先日、両者の弁論が開かれました。
さて、この決定は通常、生徒の演奏についてもJASRACが再逆転で勝訴する結果を連想させます。なぜなら、原審(高裁判決)の判断をひっくり返す時には法律上、弁論を開く必要があるからです。
逆にいえば、弁論が開かれなかった教師による演奏については、これでJASRAC勝訴(上告棄却)は確定したと言ってよいでしょう。
もっとも、最近では特に、最高裁が弁論を開いても原審が覆されるとは限らない印象もあります。生徒演奏部分については、判決を聞いてみないと分からないという、なんとも裁判ウォッチャー冥利につきる状況が現状です。

音楽教室側全面敗訴の場合の影響

さてどうなるか。特に音楽教室側が全面敗訴した場合、筆者が気になるのは使用料の額や徴収・分配もさることながら、前コラムでも書いた、民間の芸術教育すべてへの影響です。

JASRACは自らが管理する曲について、自ら選んだ相手からだけ、徴収を求めています。彼らの業務からすれば、ある意味もっともです。しかし、この最高裁判決の影響は理論上、同じような指導・練習行為のすべてに及びます。
つまり、今後は権利者の許可がなければ民間スクールでは曲の指導・練習は出来ないということになりますね。それは音楽文化に、どんな影響を与えるでしょうか。
あまり知られていませんが、JASRACは必ずしも世の中の全ての曲を管理している訳ではありません。ライバルNexToneの管理曲もありますが、いずれの団体も管理していない「ノンメンバー」の曲が世の中にはかなりあるのですね。
代表格はゲーム曲で、スーパーマリオやファイナルファンタジーをはじめJASRAC管理外の人気曲は少なくありません。また、インディーズ系や民族音楽系も、当然ながら管理外の率は高まります。
これらはもちろん管理率を上げる努力が続いていますが、非管理曲については各教室が個別に権利者に連絡をとって練習の許可を貰うのか?
さすがに難しく、真面目な教室ほどこれらの利用には委縮が広がる懸念があります。

それだけではありません。最高裁のロジックは演奏権ばかりか、同じ条文である上演権にもそのまま当てはまるはずなので、例えば民間のダンススクールは影響を正面から受けそうです。既存の振付を練習に使いたい場合、ダンスの振付にはJASRACのような権利管理団体はほぼありません。各教室が一斉にMIKIKO先生に連絡して練習の許可を貰うのか?
朗読教室にも同じことがいえます。権利者団体が管理しない詩や小説の朗読練習の許可を、どう取ればいいのでしょう。

もっとも、こうした影響は、教師による模範実演に許可が必要と確定した時点で、既にある程度は現実化しています。最高裁判決後には真面目な、又はめだつ団体ほど、対応を迫られることになるでしょう。生徒の練習も対象となれば、許可の仕組みを真剣に考えなければいけなくなると思えます。

社会はどう対処すべきか

さてどうするか。
ひとつには、権利者によるガイドライン発表が加速するかもしれません。音楽教室論争の段階から既に、「自分の曲は好きに練習で使って欲しい」と表明するアーティストは少なくありませんでした。ただし、JASRAC管理曲などでは残念ながら、こうしたガイドラインを作詞家・作曲家が自由に発表することはできない仕組みです。
他方、例えばゲーム音楽やインディーズの曲を中心にそうした動きも出て来そうです。自分の戯曲や詩を自由にスクールの練習に使って欲しいと発表する作家も現れるかもしれません。
もうひとつの方向性は、政府でも議論が進む、「ノンメンバーの作品について許可を得やすくするための仕組み」を進めることです。その基本となる「権利情報データベース」の整備への期待も高まるでしょう。権利情報データベースに、各クリエイターが自分の判断で「教育利用は自由」といったマークを付けられるようになれば、萎縮は相当に防げる可能性があります。

ユーザーによる発信がコンテンツ政策の柱になろうという時に、権利処理をどうスムーズ化するか。秋が深まり、宿題もますます深まる、2022年10月です。


【2022/10/24追記】

10月24日、最高裁は双方の上告を棄却し①音楽教室での教師による模範演奏には権利者の許可を要するが、②生徒による練習演奏には権利者の許可は要しない、との知財高裁の判断を維持する判決を下しました。(判決文はこちら
①の教師の点については、最高裁が弁論を開かなかった段階で決定的でしたが、②の生徒の点については、最高裁は弁論を開きつつ原判決を維持した訳です。深山裁判長は「音楽教室での生徒の演奏は、技術を向上させることが目的で、課題曲の演奏はそのための手段にすぎず、教師の指示や指導も目的を達成できるよう助けているだけだ」と指摘し、生徒の練習における「演奏の主体」は生徒自身であると明言しています。
この判決で最高裁は、長年、技術革新を妨げるなどとして批判も強かった「カラオケ法理」と決別したと見る日経デジタルの記事と、筆者コメントはこちら

もとより、教師の模範演奏については権利者の許可が必要ですので、本文で述べたような在野の音楽教育、あるいはダンス・朗読教育などへの影響は否定はできないでしょう。とりわけ、ゲーム音楽のようにJASRAC等の管理しない作品の利用許可を、民間の各教室がどう得るのか。
特に目立つ存在の教室ほど、「黙ってやってしまおう」とはできない可能性が高く、それらの曲の指導が忌避されることにでもなれば、音楽教育の根を細らせかねません。コラム本文で述べたような、権利者によるガイドラインや、許諾を取りやすい仕組みの充実といった課題は突きつけられたまま、と言えるでしょう。

とはいえ、大部分を占めるであろう生徒の練習演奏が「公の演奏(=公衆に聞かせる演奏)」ではない、と判断された影響は大きいですね。それはとりもなおさず、「民間教室での練習じたいは著作権者の禁止できる営みではない」という最高裁の判断を意味し、小は今後のJASRAC・音楽教室の使用料の協議から、大は文化の教育全般にも影響を与えそうです。
5年に及ぶ裁判の過程では、従来の最高裁の姿勢に照らして音楽教室側の全面敗訴を予想する声も多く、「微妙な裁判」と言い続けた筆者などは少数派であったかもしれません。今回の判決は、一般の感覚にも合致する条文解釈という点で、知財高裁と最高裁が適正なバランスを追い求めた上での結論であったと、若干の感慨を込めて評価したいと思います。

以上


(2022/10/24追記)

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