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コラム column

2022年10月25日

著作権裁判教育音楽

「JASRAC・音楽教室裁判最高裁判決-カラオケ法理は終焉を迎えたか」

弁護士  橋本阿友子 (骨董通り法律事務所 for the Arts)

10月24日午後3時、JASRAC・音楽教室裁件について、最高裁で判決が言い渡されました。結果、生徒の演奏にJASRACは使用料を徴収できない、との結論が確定されました。

最高裁判決に先立つ高裁判決は、教師の演奏には演奏権が及ぶ(JASRACは使用料を徴収できる)が、生徒の演奏には及ばない(JASRACは使用料を徴収できない)と判断していました。この判決に対して、原告・被告は共に上告していましたが、最高裁が後者についてのみ弁論を開くと決めた段階で、審理対象は、生徒の演奏についての主体が誰かという点に絞られていました。そのため、教師の演奏に演奏権が及ぶことについては既にJASRACの勝利が決まっており、最高裁判決では、JASRACの全面勝利を宣言するものか、高裁と同様に音楽教室側にも部分的な勝利があり得るのか、という点の判断が待たれていました。

ここに至る経緯・その影響については、福井弁護士のコラムをご参照いただければと思いますが、同コラムにも記載があるとおり、最高裁が弁論を開くと決定した時点で、音楽教室側には暗雲が立ち込めたようにも思えました。しかし、今回の判決はその予想を裏切り、高裁判決を維持した結果となりました。高裁判決の結論を支持していた私個人としては、最高裁の結論は妥当なものだったと考えています。

さて、最高裁判決の内容ですが、判決自体はシンプルです。

演奏の形態による音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情を考慮するのが相当である。被上告人らの運営する音楽教室のレッスンにおける生徒の演奏は、教師から演奏技術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われるのであって、課題曲を演奏するのは、そのための手段にすぎない。そして、生徒の演奏は、教師の行為を要することなく生徒の行為のみにより成り立つものであり、上記の目的との関係では、生徒の演奏こそが重要な意味を持つのであって、教師による伴奏や各種録音物の再生が行われたとしても、これらは、生徒の演奏を補助するものにとどまる。また、教師は、課題曲を選定し、生徒に対してその演奏につき指示・指導をするが、これらは、生徒が上記の目的を達成することができるように助力するものにすぎず、生徒は、飽くまで任意かつ自主的に演奏するのであって、演奏することを強制されるものではない。なお、被上告人らは生徒から受講料の支払を受けているが、受講料は、演奏技術等の教授を受けることの対価であり、課題曲を演奏すること自体の対価ということはできない。これらの事情を総合考慮すると、レッスンにおける生徒の演奏に関し、被上告人らが本件管理著作物の利用主体であるということはできない。」

論点は、上述の通り、著作物の利用主体、つまり今回のケースでは生徒の演奏の演奏主体が、規範的にみて音楽教室といえるか、という点です。
生徒の演奏を物理的に行っているのは当然生徒ですから、本来的には生徒が演奏主体と考えられるわけです。しかし、裁判所は過去に、「物理的な利用行為の主体とは言い難い者を、管理(支配)性および営業上の利益という二つの要素に着目して規範的に利用行為の主体と評価する考え方」を採用し、物理的な利用行為者ではない者の責任を認めてきました。この考え方を、「カラオケ法理」と呼んでいます。

カラオケ法理は、ざっくりいうと、①管理(支配)性、②利益性という2つの要件が備わった場合に、規範的な利用主体性を認めるロジックです。この法理は、カラオケスナックでの客の歌唱につき、従業員による客の歌唱の誘引、店が設置したカラオケテープの範囲内での選曲、店が設置したカラオケ装置の従業員による操作を通じて店が管理しており、客の歌唱によって店の雰囲気を醸成し、その雰囲気を好む客の来集を図って利益を上げることを意図している点に着目し、店を歌唱主体と評価したクラブ・キャッツアイ事件(最三小判昭和63年3月15日民集42巻3号199頁)で登場しました。裁判所は、その後、カラオケ関連事案だけではなく、カラオケとは関係のないデジタル・ネットワーク技術が問題となる場面においても、カラオケ法理を広く採用してきました。JASRAC・音楽教室裁判の第一審(地裁)判決も、このクラブ・キャッツアイ事件を引用し、利用主体を規範的にみて、教師・生徒の演奏いずれについても、音楽教室事業者を演奏主体と判断していました。

しかし、クラブ・キャッツアイ事件は、適法録音物の放送と興行が原則として自由だった当時、カラオケスナックに演奏権を及ぼそうとしたもので、事例判決と捉えられます。それにもかかわらず、同事件で採用されたカラオケ法理が、カラオケ関係以外の事案でも採用されてきたことには、批判も少なくありませんでした。

JASRAC・音楽教室裁判の第二審(高裁)判決では、クラブ・キャッツアイ事件の引用は消え、ロクラクⅡ事件最高裁判決(平成23年1月20日民集65巻1号399頁)の規範によって、第一審とは異なる判断がなされています。このロクラクⅡ事件は、著作物の利用主体の考え方に関して、
「複製の主体の判断に当たっては、複製の対象、方法、複製への関与の内容、程度等の諸要素を考慮して、誰が当該著作物の複製をしているといえるかを判断するのが相当である」
との基準を打ち立てていました。
JASRAC・音楽教室裁判の第二審(高裁)判決は、上記「複製」を「演奏」に変換し、
「音楽教室における演奏の主体の判断に当たっては、演奏の対象、方法、演奏への関与の内容、程度等の諸要素を考慮し、誰が当該音楽著作物の演奏をしているかを判断するのが相当である」
として、教師の演奏について主体を音楽教室事業者と認定した一方で、生徒の演奏については主体を生徒と認定していました。

最高裁では、「演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情を考慮するのが相当」という規範により、高裁と同様、カラオケ法理のような2要件ではなく、諸要素を総合考慮して判断するという考え方が採用され、高裁の結論を維持しています。
筆者は、この最高裁判決について、第一審判決で明確に引用されていたクラブ・キャッツアイ判決を引用せず、管理(支配)性・利益性というカラオケ法理とは別の総合考慮を基準に判断した点で、最高裁が明確にカラオケ法理の採用を避けたものと考えています。これをもって、カラオケ法理は終焉を迎えたといえるのではないでしょうか。(上野達弘教授らがコメントしている「『カラオケ法理』脱却」と題する記事も参考になります。)

上記については今後様々な分析がなされると思います。また、判決の評価についても様々な意見があるところだと思いますが、実はまだ全てが解決したわけではありません。
生徒の演奏には演奏権が及ばないとされましたが、現時点でJASRACが公表している使用料率は、生徒の演奏も使用料が発生することを前提にしたものであるため、今後音楽教室側とJASRACは、教師の演奏についての使用料率の交渉を行うこととなることが予想されます。
使用料率の決定にあたっては、音楽教室での教師の演奏は、生徒の演奏技術が不足している箇所の手本の提示というレベルのほんの一部の演奏である場合も多いと思いますので、想定される音楽教室での具体的な演奏方法や、活動全体における管理曲の演奏割合や寄与度は十分に検証されるべきでしょう。
教師の演奏はレッスンの主目的ではないので、使用料率は相当程度低い金額であるべきだと考えています(筆者による別記事参照)。
(なお、JASRACが定めた使用料率の問題点については、「音楽教室事件・控訴審判決」著作権研究 第47号(2022年5月)で触れています。)

以上、速報的に最高裁判決を検討してみました。使用料率の問題も残されている本件については、まだまだ目が離せません。

以上

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