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コラム column

2017年2月10日

(2022年7月29日追記)

著作権ライブ音楽

「JASRAC音楽教室問題。
取材等で話したことをざっくりまとめてみる【追記あり】」

弁護士  福井健策 (骨董通り法律事務所 for the Arts)

さて、この一週間JASRACの嵐がネット上で吹き荒れている。自分や事務所のメンバーもずいぶん色々な箇所でコメントを求められ、またつぶやいたり反響を頂いたりして来た。こうした「祭り」状態の常として一部で論点も拡散・錯綜して来たので、自分なりに一度短くまとめておこう。


音楽教室たちに、JASRACが来年から使用料を徴収すると告げたのが発端である。どうやら協議自体はずいぶん長く続いていたらしい。それを朝日新聞が大きく報じ、テレビやネットなど他メディアに一気に波及した形だ。特に今回は、少なからぬアーティスト達が教室からの徴収に違和感を表明したことも騒ぎを大きくした。

まず法的な整理だ。作詞・作曲は著作物である。よって、その複製や演奏には著作権者の許可がいる。日本の場合、作詞家・作曲家は音楽出版社を通じたり、あるいは直接にJASRACやNexToneのような集中管理団体に権利を信託したり委託したりする。JASRACは現在のところガリバーで、プロの楽曲の90数パーセントは同団体が管理している。海外の同様の権利団体との相互管理契約を通じ、海外の楽曲についても日本での利用許諾の窓口となる。
この信託・委託はいわゆる一任型であって、個々の作詞家や作曲家の意向によって左右はされないのが原則だ。よって、JASRACはその管理曲について、使用料規定に従って利用の許可を与えたり、無断利用を取り締まるのであり、作詞家・作曲家といえどもこれを止めることは出来ない。これが基本。

さて今回だ。JASRACは音楽教室が彼らの管理曲を演奏利用しているとして、包括での許可の代償に年間の受講料収入の2.5%を求めたとされる。報道される教室側の言い分はこうだ。生徒は一回に1名とか少人数であり、かつ教室では演奏・歌唱を練習・指導しているのであって、JASRACの権利は及ばない。よってそもそも許可は必要ないはずだ。
確かに、著作権法が定める演奏権は「公衆に直接聞かせるための演奏」のみに及ぶ。公衆とは「不特定又は多数の人」を指す。例えば、ライブハウスに来る一般のお客さんはたとえ1人でも「不特定」だから公衆である。逆に、例えば友人や同窓生ばかり100名集まるパーティは「特定」かもしれないが、「多数」なのでやはり公衆である。よって、結婚式での演奏などは公衆に聞かせるための演奏で、結婚式場も使用料を払っている。
教室の場合はどうか。多くの教室での指導とは、教師が生徒に弾かせたり歌わせたりを繰り返し、時には見本で一部やってみせるくらいが典型だろう。この場合の「公衆」とは誰かというと、JASRACの主張では生徒である。なるほど、たとえ一度ずつは少人数・特定の生徒でも、受講料を払えばほぼ誰でも入会できそうであるし、その人々が入れ替わり教室に来るのだから総体で見れば不特定又は多数で、「公衆」と言えるようにも思える。現に、裁判所は過去、カラオケボックスでの演奏も、社交ダンス教室でBGMを流す行為も、「客や受講者という公衆に聞かせるための演奏だ」と判断したことがある。
これなど、カラオケは理解できる判決だ。ダンス教室はより微妙だったが、まあ音楽にあわせてダンスをするのは、クラブやダンスホールでの演奏と同種じゃないかと言われれば、その考え方もあるなと思う。
では音楽教室はどうか。教室での生徒への演奏指導が「公衆に聞かせるための演奏」とするのは、どうも更に踏み込んだ気がする。公衆としての生徒自身に聞かせるために生徒に弾かせている?ちょっと厳しいか。では公衆としての生徒に聞かせるために教師が弾いている?しかし、そういう指導はごく一部ではないだろうか。

なお、議論の中には、宇多田ヒカルさんの発言などに関連して「学校での利用は既に出来ている」という指摘があったので、これも整理しておこう。現行法の下でも、非営利の学校等で授業で必要がある場合には、著作物を無許可で「複製」できるという規定がある(35条)。許されているのはコピー行為だ。例えば音楽大学で授業のための楽譜コピーなどは、これで出来る(専門学校も現在は含む位置づけ)。
他方、学校等に限らず、非営利目的で音楽提供の対価を受け取らない場合、著作物の「演奏」は出来るという例外規定もある(38条)。ここで許されるのは演奏で、例えば学園祭でのバンドの演奏や市民オーケストラのコンサートなどはこれで行える。なお、演奏家や指揮者がギャラを受け取るとこの例外規定は効かなくなるので、要注意だ。
営利事業の教室も多いだろうから、この例外規定で全部カバーするのは難しいのだろう。よって、そうした音楽教室が例えば発表会を行う際には、JASRACなどに使用料を払い、演奏の許可を受ける必要がある点は恐らく争いはない。
ただそれ以前の問題として、「営利・非営利を問わず教室での演奏の指導は『公衆に聞かせるための演奏』ではなく、そもそも著作権の及ぶ領域ではないのでは」が、今回の論点だ。まあ確かに、「公衆の前での演奏」という条文のイメージからかなり遠いことは紛れもない事実だろう。

恐らくJASRAC側には、「とはいえ営利の教室は音楽利用から受益しているのだから、その一部を還元しても良いではないか」という動機があるのだろう。思いとしてはわかる。問題の背景にはCDの売上低下などのコンテンツ産業の長期縮小傾向があり、JASRACはフィットネスジムやカルチャーセンターなどに徴収対象を拡張することで、年1000億円を超える著作権収入を横ばいで維持して来た。いわば、ライブの現場に著作権収入の中心を移そうとする大きな動きの一環として、いよいよ音楽教室の番が来たとも言えるだろう。
だが、仮に立法論としてはあり得るとしても、世の中は受益があれば全て法律上の権利が働く訳ではない。むしろ働かない場合も多い。卑近なことを言えば我々は、本や論文を読むことで歴史上凄まじく受益して来たが、「読む」という行為に著作権は及ばない。「図書館での貸し出し」や「個人間の貸し借り」にもだ。革新的な音楽のスタイルや演奏法が生まれると後進は大いに受益するが、こうした「アイディア」自体も原則として権利で保護はされない。
権利と利用にはバランスが必要で、そのバランスを考慮して作られるのが法律である。仮にも法律がある以上、法律に書いていないことを根拠にお金を取るのは難しいだろう。では果たして、現行法は教室での指導を演奏権の対象と考えていたのか?いたとしたら、なぜそう明瞭に書いていないのか。この辺りが問われそうだ。

もうひとつ、これは取材などの場で話すと反応が大きいが、放送時間の関係などで流れないポイントがある。JASRACは当面、企業経営の教室に対象を絞る考えだが、影響は恐らくそこにとどまらない。教室での指導を「公衆に聞かせるための演奏」と捉えるなら、JASRACの当面の方針に関わりなく、個人が経営する教室も理論上同じ「著作権侵害」の問題を抱えることになる。更に、権利団体は一般に自らの管理作品のことだけを考えて発言しがちだが、「それ以外の作品」への影響はどうだろう。例えばゲーム音楽や民族音楽系などではJASRACの管理率は低いと言われる。では各教室がそうした個別の曲の練習のためにいちいち作家と連絡を取って許可を得るか。到底無理だろう。
他ジャンルでの利用はどうか。教室での指導が「公衆に聞かせるため」となれば、朗読教室で作品を朗読し、演劇教室で戯曲を演じ、ダンススクールで既存の振付を学ぶのも同じ理屈になりそうだ。そうしたジャンルにはJASRACほどの組織率を持つ権利者団体など、ない。無許可指導が著作権侵害なら、いつ作家から責任を追及されるかもわからない。許可が取れないなら教室で教えるな、ということを意味しそうである。それで良いのか。

今回、予想を超える規模の波紋が広がった背景には、教室は音楽文化・音楽産業を支えるすそ野だという人々の思いがあるのだろう。そこから次のパフォーマーが生まれ、そして多くの音楽ファン達が生まれて来る。その部分を弱らせてしまっては、結局音楽文化・産業自体を弱らせることにならないか、との視点がありそうだ。「本当にここが取るところなのか?」という問いかけは、重い。仮にJASRACが音楽教室との論争や法廷闘争に勝利し使用料を徴収することになるとしても、そこでは徴収方法や使用料額など十分にバランスをはかる必要がありそうだ。


【2020/2/29追記】上記の記事の後、落としどころは見つからないまま、2017年6月、音楽教室事業者による「音楽教育を守る会」の個人を含むメンバー約250社が、JASRACに対して請求権の不存在確認訴訟を東京地裁に提起。2020年2月28日、その第一審の判決があった。
音楽教室側の全面敗訴である。JASRACは直後に歓迎のコメントを出し、教室側は控訴の意向を表明した。
報道と筆者の初期的なコメントはこちらを参照(NHK日経新聞朝日新聞事前のNHK報道)。
  詳細な解説は今後多数出るであろうから、速報的に判決文をごくラフに整理しよう。

【判決要旨】音楽教室でのレッスンは、個人教室や1対1の指導を含めて、「公衆に聞かせる演奏」であり著作権者の許可が必要
・個人教室についても、JASRACは将来管理対象にする意思を示しているので、確認の利益はある
・生徒は「公衆」:演奏の主体は生徒・教師でなく音楽教室。受講申込の時点で個人的つながりがないため生徒は「不特定」で、受講後に個人的つながりが生まれても無関係。また、個人教室を含め、生徒は入れ替わりもあるので「多数」
・公衆に「聞かせて」いる:生徒は練習しながら自分自身に聞かせてもおり、音楽を「享受」する目的は必要ない
・都度演奏するのが2小節以下などの短い断片でも、結論は変わらず
・教室側が主張したような、楽譜の購入による「消尽」や「権利濫用」は認めず

個人教室やプライベートレッスンを含めて網をかけた点で、著作権の及ぶ範囲をかなり広く見た判決であることは間違いないだろう。
「公衆」については名古屋高裁に次ぐ判断だが、東京地裁知財部の判断という点が重い。特に、受講申込の時点で”他人"なのでその後いくら親しくなっても、たとえ総勢1人でも「公衆」という判断には強い違和感も感じる。誰でも最初は他人なので、これだとほとんど誰でも公衆ということになり、法律が「公衆」「公の演奏」という制約を権利に設けた意味がなくならないか。
当初アーティスト達を含む多くの人々が懸念した、「レッスンは『公の演奏』ではなく、そうできるようになるための準備では」「音楽への入り口を狭めると、音楽文化の広い裾野が害されないか」という視点への説明が十分ある判決かと言えば、その印象はあまりない。「JASRAC管理外など、許可が取れない曲は練習できなくならないか」という問題意識への回答も、ないようだ。

JASRAC側が、訴訟継続の間は原告事業者からは徴収を開始しないとした点は評価できるが、果たして、権利保護と自由なアクセスのバランスが十分取れた一審判決だったのか、やや疑問の残る結果となった。


【2021/3/19追記】上記判決後、音楽教室側の控訴を受けた知財高裁判決が3月18日に言い渡され、生徒の演奏についてJASRACが逆転で部分敗訴し、音楽教室側の主張が認められた。
判決はこちら。報道と筆者の初期コメントはこれなど。
一審と大きく変わったのは、上記の要旨のうち「演奏の主体」についてで、生徒は自ら主体となって教師に向けて練習演奏をしているのであり、それは「音楽教室による演奏」でも「公衆に聞かせるための演奏」でもない、との判断である。他方、教師による模範演奏が、「生徒という公衆」に聞かせるための演奏で、JASRACの許可を要するとする点は、一審と変わらない。
教師の演奏がない場合、教室での練習・指導に著作権者の許諾や支払いは不要との高裁判断といえ、本コラムでの問題意識にもひとつの回答になるだろう。

とはいえ、双方が部分敗訴という意味では最高裁に向かうことになるか。あるいは、何らかの合意解決に向けて動けるか。音楽教育と音楽文化にとっては要注目と言える。

【2022/7/29追記】上記判決後、双方は和解のないまま上告し、2022年7月28日、最高裁は生徒の演奏部分について弁論を開く方針と報じられた
これは一般的には、音楽教室の勝訴であった生徒の演奏部分について、判断が覆される可能性を意味する。5年越しの裁判は、最終局面を迎えることになった。
最高裁判決前に、論点と判決の影響を改めてまとめたコラムは、こちら

以上

(2022年7月29日追記)

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