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コラム column

2020年5月25日

憲法メディア

「忘れないための覚え書き」

弁護士  二関辰郎 (骨董通り法律事務所 for the Arts)

 コロナ禍のために人々は普段と違う生活を余儀なくされている。世界の状況も日々ニュースで伝えられる。同時代人という言葉を世界的なレベルでこれほど意識したことは、かつてなかったように思う。
 何かの渦中にあるとき、とりわけ今回のように自分や身近な人々の生命・健康に直結する問題に直面するとき、人の関心は自ずとそこに向かう。メディアも連日大きく取り上げる。そのこと自体は必要かつ大切なことだが、同時に他の大切な問題も忘れないようにしなければならない。目下のコロナ禍が過ぎてから考えればよいのかもしれないが、その時には、何か別の問題が起きていて人々の関心を集めているだろう。結局のところ、次々に起こる新しい出来事を受動的・表層的に追いかけ、前のことはもう過ぎたこと、古いこととして忘れ去る。その繰り返しでは、いつまで経っても根本的なものごとの解決には結びつかない。
 いわゆる3.11の時、街中の電気が消え電車が止まるなど、人々の生活が大きく影響を受けた。あれだけの経験をした以上、ようやく脱原発に向かうかと思いきや、実際そうはならなかった。いまでも避難生活を送っている人々などを除けば、多くの人は当時のことを、もはや過ぎ去ったこと、あるいは自分とは直接関係ないこととしてあまり意識しなくなっているのではないか。自戒の念もこめてそう思う。
 人は元来忘れるものなので、忘れないための努力が必要だ。その一助として、コロナ禍以外の問題のリストと、忘れないためのいくつかの条件について覚え書き的に記しておきたい。テーマをあまり広げると収拾がつかなくなるので、自分が相応にかかわってきた公文書管理や情報公開に関する問題に主に焦点をあてる。

【問題のリスト】

 ここ数年、公文書管理や情報公開に関連して起こった主要な問題のリストを簡単にあげておく。みなさんも記憶している事項も結構多いと思う。

自衛隊南スーダン日報問題

南スーダン国連平和維持活動=PKOに参加した自衛隊の活動記録である「日報」について、2016年にジャーナリストの布施祐仁氏が情報公開請求をした。それに対して、防衛省が、すでに廃棄していて存在しないと回答したが、実際には保管されていたことが後に明らかになった。

参考)布施祐仁・三浦英之『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(集英社 2018年)ほか

森友学園問題

2016年6月、学校法人「森友学園」に大阪府豊中市の国有地が払い下げられた。不動産鑑定士が出した土地評価額は9億5600万円だったが、近畿財務局による払下価格は約8億円値引きされていた。これに関する財務省の決裁文書が事後的に書き換えられており、当時関与せざるを得なかった職員の赤木俊夫氏が命を絶った。同氏の手記を「週刊文春」が掲載した。

参考)「週刊文春」2020年3月26日号、相沢冬樹『安倍官邸vs. NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』(文藝春秋 2018年)ほか

加計学園問題

2017年1月、学校法人「加計学園」が「国家戦略特区」の事業者に選定され、52年間どこにも認められなかった獣医学部の新設が認められた。「官邸の最高レベルが言っていること」、「総理のご意向」といった記述を含む文科省の文書の存在が指摘されたが、官房長官は「怪文書みたいな文書だ」とコメントをして文書の真正性を否定した。元文部科学事務次官の前川喜平氏が、そういった文書が実在したと認める記者会見を予定していた3日前に、同氏の評判を落とすことを狙ったような記事が読売新聞に掲載された。

参考)朝日新聞取材班『権力の「背信」』(朝日新聞出版 2018年)(森友学園についても)ほか

大臣日程表の即日廃棄問題

各省庁の大臣の日程表には、大臣が誰と会い、どのような会議や打ち合わせに参加し、誰からいつ報告を受け、協議をしたのかといった、毎日の大臣の公務や政務の内容が記載されている。その日程表が、即日あるいは極めて短期間で廃棄されていたことが情報公開クリアリングハウスの情報公開請求によって判明した。

参考)情報公開クリアリングハウス・レポートhttps://clearing-house.org/?p=3012ほか

総理大臣の面会記録不作成問題

毎日新聞が、総理大臣と省庁幹部らとの面談で使われた説明資料や議事録などの記録約1年分を首相官邸に情報公開請求したところ、全て「不存在」という回答がなされた。総理大臣が省庁幹部と面会する際の記録は、説明・報告を行う各行政機関で必要に応じて作成・保存しており、首相官邸では議事録などを作成していないと官房長官は説明した。

参考)毎日新聞2019年4月13日配信「公文書クライシス 首相と省庁幹部の面談記録「不存在」 官邸1年未満で廃棄」(有料配信記事)
https://mainichi.jp/articles/20190413/k00/00m/010/162000cほか

裁量労働制に関する統計不正処理問題

2018年に政府が国会に提出した「働き方改革関連法案」に裁量労働制の拡大が盛り込まれていた。その根拠となるデータとして、厚労省による労働時間等の実態調査結果が用いられていたが、同調査では、一般労働者には「最長の残業時間」を尋ねていた一方、裁量労働制で働く人には単なる労働時間を尋ねていた。つまり、質問方法の違う調査を比較し、一般労働者の労働時間の方が長くなるとの結果を出していたことが判明した。他にも同一人物の1週間の残業時間が1か月の残業時間を上回るデータなどもあった。担当大臣が、すでに存在しないと国会で答弁していた調査票の原本が、厚労省の地下倉庫にあったことも判明した。

参考)日本経済新聞2018/2/19配信記事「厚労相、裁量労働巡り謝罪 違う調査で労働時間比較」 
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO27074410Z10C18A2MM0000/ほか

金融審議会市場WG報告書問題

2019年6月に金融審議会市場ワーキンググループがとりまとめた報告書には、年金だけでは老後資金は2000万円不足するという指摘が含まれていた。金融担当大臣は、その報告書の正式な受け取りを拒否した。金融審議会で同報告書については議題としないこととし、結局、同報告書は正式な承認手続を経ないことになった。

参考)朝日新聞2019年9月19日配信「「老後2千万円必要」事実上の撤回 金融庁、議題にせず」(有料配信記事)
https://www.asahi.com/articles/ASM9M33WNM9MULFA004.htmlほか

桜を見る会招待者名簿問題

総理大臣主催の公的行事「桜を見る会」の招待者名簿が、国会議員から資料要求があった同日にシュレッダーで廃棄されていた。また、その時点でバックアップデータは存在していたものの、行政文書に該当しないという解釈により、政府はその存在を公表せずにその後消去した。廃棄については廃棄記録を作成せず、さらに、招待者名簿は、行政文書ファイル管理簿に本来記載すべきものであったが、2013年度から2017年度まで記載していなかった。その他、前日の夕食会において、一人5000円でホテルでの立食パーティーが開催されたという話もあった。

参考)毎日新聞「桜を見る会」取材班『汚れた桜 「桜を見る会」疑惑に迫った49日』(毎日新聞出版 2020年)ほか

資源エネルギー庁報告書の虚偽記載問題

2020年3月、経済産業省が関西電力に対し金品受領問題で業務改善命令を出した。電気事業法によれば、業務改善命令を出す前に、電力・ガス取引監視等委員会の意見を聞かなければならないことになっている。しかし、資源エネルギー庁は、命令前には意見聴取を行っておらず、実際には事後的に行った。ところが、作成した報告書では、同命令を出した前日に聴取したように日付に虚偽の記載をした。

参考)朝日デジタル2020年5月3日配信「虚偽公文書、うその記載は5カ所 経産省が認める」(有料記事)
https://www.asahi.com/articles/ASN53574JN52ULFA001.htmlほか

検察官定年延長問題

2020年1月31日、政府は、黒川弘務・東京高検検事長の定年を国家公務員法の規定に基づき6か月延長するとの閣議決定をした。検察庁法は、検事総長以外の検察官は63歳で定年を迎えると定めており、定年延長の規定はない。一般の国家公務員は1981年の国家公務員法改正で定年延長の特例が定められたが、当時の人事院局長は「検察官には適用されない」と答弁していた。総理大臣は、国家公務員法のそのような解釈を変更したと説明したが、法務省は、検察官の定年延長を巡る法解釈変更の経緯について「口頭による決裁を経た」と発表した。
その後、2020年の通常国会に、いわゆる束ね法案として検察庁法の改正法案が提出され、ツイッター等で市民や著名人から多くの反対意見が表明された。元検事総長等からも反対の意見書が出され、2020年通常国会での法案成立はひとまずなくなった。

参考)朝日新聞デジタル2020年5月15日配信「【意見書全文】首相は「朕は国家」のルイ14世を彷彿」
https://www.asahi.com/articles/ASN5H4RTHN5HUTIL027.htmlほか

【法制度】

 忘れないためには、政府の諸活動を文書に記録・保存し、それを市民が共有できるようにする仕組みが重要だ。そのような仕組みを国レベルの行政機関で具体化した法律が公文書管理法と情報公開法である。前者は2011年から施行されており、後者はその10年前の2001年から施行されている。それぞれいろいろと改善すべき点はあるものの、いちおう制度は整っている。
 公文書管理法は、行政機関において、意思決定に至る過程も検証できるように文書を作成しなければならないと定めている(同法4条)。上の問題のリストで指摘した検察官定年延長の口頭決裁などという方法は、公文書管理法の定める文書作成義務に違反している。
 なぜ文書の作成は重要か。金井利之東京大学法学部教授(行政学)は、筆者もご一緒させていただいたシンポジウムで次のように発言していた。「文書に書かれているということによって、人による思いつきによる支配というのを回避する。紙に書いていませんと、憶えていないとか、言っていないとか、記憶にないとか、合意していないとか、いろいろと権力者は時々の都合で言い訳をするということになりますけれども、文書によって行政を進めるということによって、そうしたことがある意味で防げるという可能性があるわけであります。」*

*日弁連法律サービス展開本部自治体等連携センター・情報問題対策委員会編
『公文書管理 民主主義の確立に向けて』(明石書店 2019年)所収

 公文書管理法10条1項に基づいて、行政機関の長は公文書管理規則を定めることになっている。そのためのガイドラインである「行政文書の管理に関するガイドライン」では、 1年未満の保存期間にできる行政文書として「日程表」を例示している。それゆえ、大臣日程表即日廃棄問題は、現行のルール下では違法とまでは言えない。そもそも、そのような短期での廃棄を許容しているガイドラインや、それを受けた規則自体が不適切ということになる。
 大臣日程表だけでなく、総理大臣の面会記録不作成問題やその他の問題にも通底することであるが、政権担当者が、主権者のために自分たちに与えられている「権限」を、自分の「権利」であるかのように混同していることも、さまざまな問題が生じている一因ではないかと思う。

【メディア】

 公文書は、あくまでも記録という客体である。いわば、保管場所で静かに息をひそめて待っているだけの存在にすぎない。誰かが主体的に探索し、内容を検討しなければ、いかに政府の諸活動が記録・保存されていたとしても活かされないことになる。
 一般市民が、そのようなことを継続的・体系的に行うのはそう容易ではない。そのため、メディアが自ら、あるいは研究者による活動の紹介などを通じて、そういった内容を報じることが重要な意味を持つ。
 人は忘れるものなので、新しいニュースを追いかけるだけでなく、大事なことは何度でも繰り返し報じてもらうことが重要だ。
 情報公開を利用した報道が一般化すれば、日本のメディアのあり方が大きく改善される可能性・期待もある。現在の日本のメディアのように、政治家や官僚からの発表や取材で得られる情報に依存してニュースにする度合いが高いと、情報を将来とりにくくなることを懸念して、情報源に対する批判を控えたり、弱めたりする傾向がどうしても生じやすい。そうなると、本来、メディアに最も期待されるはずの権力監視の役割を果たせない。
 公文書管理法にのっとって重要な事項が公文書にきちんと記録され、誰もが迅速にその情報にアクセスできれば、メディアと取材源との関係性が変わる可能性がある。このルートが制度として確保されていれば、メディアも情報源たる官僚や政治家などに変に忖度する必要がなくなる(澤康臣「調査報道による権力の監視―もうひとつの情報公開 4」日弁連60回人権大会シンポジウム第分科会実行委員会編『監視社会をどうする!―「スノーデン」後のいまを考える、私たちの自由と社会の安全』所収参照)。
 ちなみに情報公開法に相当する米国の情報自由法(FOIA)では、教育機関や非営利の研究機関が学術研究で情報公開をする場合と並び、ニュースメディアが情報の謄写を求める場合には、費用が低廉で済む仕組みが設けられている。

【主権者】

 それなりの制度があり、報道がなされていたとしても、市民が継続的に関心を持ち続けなければ、問題の解決にはつながらない。
 公文書の適正な管理は民主主義の根幹と言われる。どのような意味で民主主義にかかわるか。この点を説明するものとして、公文書管理法制定時に政府が策定した最終報告書に次の記載がある。以前別のコラムでも紹介したことがあるが、大事なことなので繰り返し指摘しておきたい。


民主主義の根幹は、国民が正確な情報に自由にアクセスし、それに基づき正確な判断を行い、主権を行使することにある。国の活動や歴史的事実の正確な記録である「公文書」は、この根幹を支える基本的インフラであり、過去・歴史から教訓を学ぶとともに、未来に生きる国民に対する説明責任を果たすために必要不可欠な国民の貴重な共有財産である。

 つまり、公文書の適正な管理は、そこに記載された情報を、われわれ主権者たる市民が主体的に活用するからこそ民主主義の根幹にかかわるものになる。
 公文書の不作成、隠蔽や改ざんなどがあると、このような民主主義の根幹についての前提を欠くことになる。問題のリストで指摘した項目を、過去のこととして忘れ去ってはいけないゆえんである。主権者が関心を持ち続けることが重要な鍵となる。
 制度について言えば、法律に違反した運用がなされているのか、運用に法律違反はないが法律自体に改善すべき点があるのかなど、問題の位置づけを区別して評価することも重要だ。メディアについて言えば、大事なことを適切に報じているか、事実を都合よく拾い出して誤った印象を作り出していないかなどを見極めるメディアリテラシーをわれわれが高めていくことも重要である。
 かつて、誰かがツイッターかなにかで、政治との関係について、「無関心ではいられても無関係ではいられない」と指摘していた。今回のコロナ禍は、国や地方公共団体の政策が、否が応でも市民の日常生活に大きく影響を及ぼすこと、政治の在り方に市民が無関係ではいられないことを多くの人に気づかせる契機になったのではないか。
 憲法12条1文にはこうある。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」
 コロナ禍が過ぎれば、忙しい日常が戻ってくる人は多いであろう。しかし、「それどころではない」などといって、日常の目の前のことだけ、自分の身の回りのことだけに忙殺されていると、そういった日常を支えている社会の基盤がいつの間にか損なわれていく。
 「権力が国民のものであることを忘れて、その行使を他人まかせにしてしまうならば、民主主義は死んでしまいます。ルソーは、『社会契約論』の中でつぎのようにいいきっています。『国の政治について、だれかが「わたしになにの関係があるのか」といいだすや否や、〔民主主義の〕国家は滅亡してしまったと考えるべきである。』」(杉原泰雄『岩波ジュニア新書 憲法読本』から)。

以上


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