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コラム column

2019年4月 4日

(2023年11月19日最終追記)

憲法契約メディアエンタメ映画音楽

「不祥事=作品封印の是非 ~犯罪・スキャンダルと公開中止を考える」【追記あり】

弁護士  福井健策 (骨董通り法律事務所 for the Arts)

「スキャンダルでの中止・自粛」やまず

「自粛」をめぐる取材を、いくつか続けて頂いた。
今年だけでも新井浩文(『GO』『真田丸』『下町ロケット』)、そしてピエール瀧(電気グルーヴ、『あまちゃん』『64(ロクヨン)』)と、主役級の大物バイプレーヤー(どんな日本語だ!)の逮捕報道が続いている。犯罪に限定しなければ芸能人のスキャンダルなどは日常茶飯事であり、そしてもうひとつ日常茶飯事になりつつある光景がある。作品自粛だ。

新井の『台風家族』(草彅剛主演)、ピエールの『アナと雪の女王2』(オラフ声役)など、公開間近の作品が自粛・差し替えに至るのはともかく、上で挙げたような代表作・超名作たちも少なくない数が「ネット配信停止」「CD・DVD回収」を早々に発表された。そして、こうした過去の出演作の「封印」に、ネット・メディアでは多くの疑問が寄せられた。例えば劇作家の鴻上尚史さんはTwitterで、「出演者の不祥事によって、過去作品が封印されるなんて風習は誰の得にもならないし、(中略)ただの思考停止でしかない」とつぶやき、数万規模でリツイートされた。

その後、東映などが同じくピエール出演作である『麻雀放浪記2020』の公開を決断するなど、報道と議論は続いている。今回は、この「スキャンダル自粛」を掘り下げてみよう。

なお、念のため書いておけば、作品が公開中止となり一番悔しく辛いのは、中止を決めた当の製作者など関係者だろう。以下、それは肝に銘じた上で検討を続けたい。

法的な整理:スキャンダル降板・自粛は義務なのか?

まずは法的な整理から。多くの出演契約には(いや時には脚本・演出契約にさえ)「犯罪、公序良俗違反、信用を失墜させる行為は行わない」といった規定が存在している。仮にそうした規定がなくても、本当に俳優やスタッフが犯罪や公序良俗違反の行為をして、その直接の結果として作品の公開や舞台の公演中止が避けられなくなれば、恐らく立派な契約違反だ。それによる損害の賠償責任などを負うこともあり得る。
では公開中止は常に「避けられない結論」なのか?いや、通常は仮に犯罪行為が事実であったとしても、児童虐待や盗作のように作品そのものに違法の要素がある場合を除けば、それによって公開中止や公演中止が法的に義務づけられる訳ではない。

とはいえ、現在の世論はそんなに甘いものではない。「反省がない」「被害者側の感情に配慮すべき」「犯罪行為を是認するのか」といった批判が起きることは想像にかたくないし、中止しないことのリスクやデメリットが無視できなくなってしまうケースもあるだろう。その場合、法的な義務はなくても現実問題としては、新作の公開中止や舞台からの降板がやむを得ない場合もありそうだ。
(無論、「犯罪など事実無根だ!」というときは別で、この場合は事実確認/時間との闘いという、更に難しい課題に現場は直面する。)

過去作品の封印は必要なのか?

では、進行中ではなく過去の作品はどうだろうか。なにせ今後の公開作品と比べて通常、ひとりの出演者が関わった過去の作品は膨大だ。引っ張りだこだった新井浩文の場合、逮捕時までに関わった映画出演作だけで約70本もあったとされる。それらを果たして、またどんな基準で自粛するというのか。
ここでは、まさに鴻上発言にもあった通り、「制作側が踏んばれるか」どうかは大きいと思える。

第一に、多くの方が指摘するように、出演者個人の過ちと、作られた作品は基本的には別な存在だ。
第二に、出演者はあくまで作品に関わる大勢の関係者のひとりにしか過ぎない。新井の70本の映画だけでも、主要な関係者は恐らく数千人規模だろう。その膨大な出演者・スタッフたちにとって、作品封印はかけがえのない生きた証を奪われることにもつながる。
第三に、一度公開された作品は社会の共有資産である。それはもはやスタッフやキャストだけのものではなく、現在の、そして将来の観客たちのものでもあるだろう。犯罪関係者を見て不快に思うという人がいるなら、そういう人が「見ない選択をできる」配慮は必要だ。しかし、作品から勇気を貰っている人々もいるはずなのだ。
付け加えれば、安易に封印してしまえば、その封印を解除するタイミングで苦労する可能性もある。恐らく、起訴され判決が確定する時、(実刑なら)刑期を終えるタイミング、など考えるのかもしれないが、例えば薬物犯の再犯率は高い。出演者が刑期を終えると作品を再公開し、その後、万一再犯で逮捕されたら、また公開を自粛するのか。
あるいは、社会的に薬物犯や性犯罪への批判が強い状態が続いていたら、その中であえて一度封印した作品の再公開に踏み切れるのか。

無論、犯罪は許されない。真実罪を犯したのであれば、その責めを負うことは当然だろう。その間、活動が出来ない期間が生ずることも十分あり得るし、だからこそ犯罪行為の前に立ち止まる勇気は必要だ。

そうではあるが、過去に大きな過ちを犯したクリエイターや俳優は大勢いる。我々は不完全な、間違える生き物だからだ。仮に犯罪やスキャンダルの本人が関わる過去の作品が全て次々と封印されたら、どうなるだろう。三島由紀夫は、(あれが「過ち」だったかはともかく)最後は自衛隊本部を武力占拠するという盛大な犯罪で人生を締めくくっている。彼の著作をすべて封印するのか。例の「葬儀花輪」事件の大乱闘で逮捕された、唐十郎と寺山修司の作品はどうだろう。フライデー編集部を襲撃した北野武の全作品は封印されるべきなのか。サドは、ポランスキーは、花輪と言えば花輪和一はどうか。自分の不始末を題材にした『刑務所の中』などという不謹慎な、あんな面白い漫画を発表し、あまつさえ映画化までして良かったのか?ましてLSDなどの影響下で作られたロックの名曲たちは、ビートルズを筆頭に全部封印か?

恐らく、こうした封印が常態化すれば、私達の文化と社会は大きな知の源泉を失い、情報の豊かさも活力もない場になりかねない。加えて、自粛によって高額に膨らんだ損害額の責任が、当人のその後の更生・社会復帰への大きな足かせになることも十分あり得る。

個人の責任は責任として、それと生み出された作品を区別する議論も、必要なように思う。それは、将来への文化資産として作品を伝えて行こうというアーカイブの思想ともつながるだろう。

(本稿は、日本劇作家協会発行『ト書き』掲載予定の連載原稿を、タイミングに鑑みて若干加筆して先行掲載するものです。)


【追記】ピエール瀧はその後、2019年6月に執行猶予付きの有罪判決を受けた。事件発覚以前に撮影終了していたピエールの出演映画『宮本から君へ』は9月、撮影から1年を経て公開にこぎ着け、作品は観客から高い支持を集めた。10月、文化庁所管の日本芸術文化振興会(芸文)が『宮本』に対して、「助成により国が薬物を容認するようなメッセージを発する恐れ」との理由で、内定済みの補助金の不交付を告知していたことが報じられた
補助金交付と表現の自由については、こちらの「著しく不完全な「表現の自由」論争史 ~公開中止・会場使用許可・公金支出を中心に」でも述べた。


【再追記】2021年6月21日、『宮本から君へ』の製作会社スターサンズが日本芸術文化振興会(芸文)を、助成金不交付は表現の自由の侵害だと訴えていた裁判で、東京地裁は助成金の不交付決定を取り消し、交付を認める判決を言い渡した。
清水知恵子裁判長は、「映画に交付される助成金と出演者の犯罪行為とは無関係」「助成金のために製作会社が再撮影などしなければならないことになれば、自主性が損なわれかねない」などと理由を述べた旨が報じられた


【再々追記】2022年3月3日、上記裁判の控訴審(東京高裁)は1審・東京地裁判決を取り消し、原告の請求を棄却する逆転判決を言い渡した。
助成金の内定後に、重要な出演者が有罪判決を受け確定した事実を踏まえて、違法薬物の乱用防止という公益性の観点から、助成金を交付しない決定は社会通念に照らして著しく妥当性を欠いてるとはいえないと指摘。
むしろ、映画に助成金を交付した場合には、観客等に対して「違法薬物を使用した犯罪者であっても国は大目に見てくれる」という誤ったメッセージを発したと受け取られ、薬物に対する許容的な態度が一般的に広まるおそれがあるなどとして、助成金を不交付とした処分は適法と踏み込んだ旨が報じられた
この点、より大きな論点は犯罪者が大目に見られるかではなく、なぜ作品中に違法な要素を持つ訳ではない作品と、そして他の多くの関係者までが不利益を受けなければならないか、だろう。


【最終追記】2023年11月17日、上記裁判で、最高裁は全員一致で控訴審判決を取り消し、国による助成金不交付を違法とする再逆転判決が確定した
判決では、公益性を考慮して不交付と出来るのは「当該公益が重要で、害される具体的な危険がある場合に限られる」と指摘。その上で、ピエール氏の知名度や演ずる役の重要性にかかわらず、映画への助成金交付によって国が薬物乱用に寛容というメッセージを発することになるとはにわかに想定できず、「公益が害される具体的な危険がある場合には該当しない」と判断。不交付は裁量権の逸脱等にあたって違法であり、「重視すべきでない事情を重視した結果、社会通念に照らし著しく妥当性を欠いたものである」と明言した。
妥当な判決であり、特に、抽象的な公益を理由とする交付拒否が広く行われれば、助成を必要とする者による申請や表現行為に萎縮的な影響が及ぶ可能性があり、表現の自由に照らして看過できない、と最高裁が明言した意味は大きい。同時に、作品自体の制作や内容と無関係な一出演者の行為について、「国が薬物を容認するメッセージを発する恐れ」との驚くべき理由でされた内定済み補助金の不交付が、是正までに実に4年の裁判闘争を要した事態には慄然とする。
補助金、特に一度内定されたそれは多くの場合、関係者と作品にとって重要な生命線となる。文化芸術の支援と政治との関わりはどうあるべきか。先進諸国の例も学び、政府と関係者は真剣に考えるべき時期だろう。なお、補助金交付と表現の自由については、こちらのコラムも参照。


【別記】2023年7月26日、NHKが逮捕報道などを受けてNHKオンデマンドでの配信を停止していた市川猿之助・永山絢斗氏の出演ドラマについて、批判を受け止め、できるだけ速やかに配信を再開すると発表した
猿之助氏については6月29日、逮捕報道を受けて、『鎌倉殿の13人』など出演8作品について順次配信を停止すると発表しており、その中には猿之助氏は最終回にしか出演していない『龍馬伝』全話も含まれていたという。
約1,000あったという批判的意見では、「作品には罪はない」「有料の動画サービスなのでその番組を見るかどうかは利用者に委ねるべき」という声がほとんどだったといい、「作品の価値やクリエイターの成果をお守りして、コンテンツ文化を保護していくことも公共メディアに求められる役割」「今後、NHKオンデマンドでは原則、一部の出演者の逮捕での配信停止は行わない」とNHKが明言した点は、英断だったと評価したい。今後への影響は大きいだろう。


【別記】2020年2月13日、槇原敬之氏が覚せい剤所持などで逮捕された。2年前の所持容疑で、認否も明らかになっていないということで、事件自体についてはコメントできない。

ただ、マッキー逮捕となれば、作品面では過去数年の事件とは違う種類の影響が広がる可能性がある。それは、提供楽曲やカバーの多さだ。本人が歌唱する番組テーマ曲などがいったん自粛されるのは、現在の情勢からすれば恐らく不可避なのだろう。他方、作詞作曲した曲を他のアーティストが歌唱している場合は、自粛にはより慎重な検討が望まれる。「世界に一つだけの花」を挙げるまでもないだろう。それは既に生み出された作品であり、歌唱演奏するアーティスト達が命を吹き込んだ、社会の共通の財産だからだ。

権利の面ではどうか。槇原氏はJASRAC会員であり、楽曲はほとんどがJASRAC管理曲だ。曲はJASRACに信託譲渡されており、誰でも望む者は使用料を支払って曲を収録したり演奏や配信できる。YouTubeだけをとっても、槇原曲のカバーはあふれている。JASRACには「応諾義務」があり(管理事業法16条)、原則として楽曲の使用許可を拒むことはできない。

真相解明と本人の責任は責任だ。しかし過度の自粛の広がりは、徒に損害と混乱を拡大させかねない。我々の社会には、既に混乱と論争の種は十分すぎるのだ。

  

以上

(2023年11月19日最終追記)

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