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コラム column

2018年8月30日

文化・メディア裁判著作権法

「シーン・ア・フェール法理を手掛かりにストーリーの類似を考える
          ~映画『カメラを止めるな!』は著作権侵害か?~」

弁護士 松澤邦典(骨董通り法律事務所 for the Arts)

8月21日発売の『週刊FLASH』が映画「カメラを止めるな!」の著作権侵害疑惑を報じた。この騒動とは関係なく、ここのところ、映画・ドラマ、演劇、漫画・アニメのストーリーを比較して著作権侵害のリスクを検討する案件の依頼が続いている。そのうちの一つでは著作権侵害ではないという結論に至り、別のケースでは著作権侵害の可能性が高いという結論に至った。振り返ると、この二つのケースの狭間のどこかに著作権侵害とそうでないケースの境目があったわけだが、その境目を明らかにするのは…、どうやら著作権法の永遠のテーマのようだ。

■アイデア・表現二分論

著作権法は、アイデアとその具体的な表現とを区別して、具体的な表現だけを保護の対象とする。そのため、一般に、アイデアが共通しているだけなら著作権侵害ではない、ということが言われる。「アイデア・表現二分論」と呼ばれる考え方で、世界的にそのように考えられている。
アイデアまで保護してしまうと、自由な表現活動が妨げられる、というのが理由の一つだ。あるアイデアを最初に表現した人に、そのアイデアまで独占させてしまうと、その後に続く人は、同じアイデアを使った表現を自由にできなくなる。そうなると、新たな創作は生まれなくなり、新作の映画も新刊の漫画も世に出なくなる。とても退屈な世の中になることが想像される。
アイデア・表現二分論はおそらく正しい考え方だが、ストーリーの類似を考えるときには、アイデアという言葉には注意した方がいいかもしれない。作品のあらすじ、構成、登場人物の設定なども、日常用語では「アイデア」と言うからだ。例えば、こんな風に言われたら、どうだろうか。

すごいアイデアを思いついたから聞いてくれ!何をやってもダメな少年のもとに未来からロボットがやってきて、そのロボットが、四次元空間につながる不思議なポケットから未来の道具を取り出して、少年を助けてくれる物語なんだ。そのロボットは、猫型のロボットなんだけど、耳がないんだ!これは、ネズミに耳をかじられたせいなんだけどね。初登場のシーンも考えたんだ。ある日突然、ロボットが少年の机の引き出しから現れるんだ。斬新なアイデアだろ?未来の道具というのは、例えば「どこでも行けるドア」や「頭に取り付ける竹とんぼ」で…

「アイデア」という言葉の使い方に、日本語としての不自然さはない。しかし、言うまでもなく、これは藤子・F・不二雄が生んだ国民的漫画「ドラえもん」の基本的なストーリーであり、自由に使っていいという印象は必ずしも受けない。おそらく上記の例は、「ドラえもん」のアイデアの域にとどまらず、その表現の域に足を踏み入れているのだろう。問題は、この「アイデア」と「表現」の境目をどうやって見出すかだ。

■内面的表現形式と外面的表現形式

今や死語になりつつあるが、かつては「内面的表現形式」と「外面的表現形式」といった言葉で説明されることがあった。大河ドラマ「春の波濤」が書籍『女優貞奴』の著作権を侵害しているかが争われた「春の波濤」事件・第一審(名古屋地裁平成6年7月29日判決)では、外面的表現形式(文章、文体、用字、用語等)が異なっていても、内面的表現形式(作品の筋の運び、ストーリーの展開、背景、環境の設定、人物の出し入れ、その人物の個性の持たせ方など、文章を構成する上での内的な要素)が同じであれば、著作権侵害になり得る、と言われた。

先ほどの例にあてはめれば、「ドラえもん」と内面的表現形式が同じだから、著作権侵害になり得る、と説明できるかもしれない。著作権の保護は、外面的表現形式だけでなく、内面的表現形式にも及ぶというわけだ。この考え方によれば、外面的表現形式をそのまま利用するのが「複製」(著作権法21条)、内面的表現形式を維持しつつ外面的表現形式を変更するのが「翻案」(著作権法27条)と説明することができる。
ストーリーの類似を考えるときの頭の整理にはなるかもしれない。が、この基準は、著作権侵害かどうかの判断にそれほど役に立たないので、現在はあまり使われていない。

■抽象化テスト

米国著作権法では、アイデアと表現を区別するための手法として、「抽象化テスト(abstraction test)」と呼ばれる基準が広く知られている。
抽象化テストとは、具体的な作品から個々の出来事をどんどん取り除いていくと、より一般化されたパターンが導き出され、最終的には作品のテーマについての一般的な記述か、ときにタイトルのみに行き着くところ、この抽象化の過程の一点にアイデアと表現の境目が存在するという考え方だ。映画「The Cohens and the Kellys」が戯曲「Abie’s Irish Rose」の著作権を侵害しているかが争われたNichols v. Universal Pictures Corp.事件 (45 F. 2d 119 (2d Cir. 1930)) においてラーニド・ハンド判事が定式化した。この事件では、「両作品に共通するのは、ユダヤ人の父とアイルランド人の父との諍い、彼らの子供の結婚、孫の誕生及び和解という点のみである」として、著作権侵害が否定された。

試しに、先ほどの「ドラえもん」のストーリーから、個々の出来事をどんどん取り除いていってみよう。

何をやってもダメな少年のもとに未来からロボットがやってくる。ロボットは、ポケットから未来の道具を取り出して、少年を助けてくれる。動物のロボットなのに、耳がない。ある日突然、少年の机の引き出しから現れる。

何となく一般的なパターンのようなものが幾つか浮かび上がってきただろうか。さらに取り除いていこう。

少年のもとに未来から動物のロボットがやってきて、未来の道具で少年を助けてくれる。

ここまで抽象化すれば、アイデアだと言っていいと思うが、どうだろうか。

■シーン・ア・フェール法理

米国著作権法では、ストーリーの類似を判断するとき、抽象化テストと同様に、頻繁に言及される法理がある。「シーン・ア・フェール法理(scenes a faire doctrine)」と呼ばれる法理で、「ありふれた場面の法理」とか「ありふれた情景の理論」などと訳されたりもする。ここでは、この法理の卓越した概説と評されるLeslie A. KurtzのCopyright: The Scenes a Faire Doctrine(41 Fla. L. Rev. 79 (1989))に依拠しつつ、この法理を紹介する。

シーン・ア・フェール法理とは、特定のテーマを扱う上で、実際上不可欠(indispensable)になっているか、少なくとも標準的(standard)になっている出来事、登場人物、設定などには、著作権の保護を与えない(unprotectible)という考え方だ。ちなみに、シーン・ア・フェール(scenes a faire)は、フランス語の表現で、19世紀フランスの劇評家フランシスク・サルセーが「お決まりのシーン」といった意味で用いたフレーズらしい。
Kurtzによれば、シーン・ア・フェール法理によって、後に続く著作者は、場合によっては、アイデア以上のものを先行作品から借りてくることができる。米国でシーン・ア・フェールと認められた例を一つ見てみよう。

宇宙人が宇宙船に乗って地球にやって来る。人々は未知の宇宙人を恐れる。政府は宇宙人を捕獲または殺害しようとする。一人の人間が宇宙人と親しくなり、宇宙人が安全に母星に帰れるように手助けする。宇宙人は、死にそうになる直前、宇宙船に乗って地球を離れる。

映画「E.T.」(1982年公開)を想起する人が多そうだが、実は違う。これは、映画「Starman(邦題:スターマン/愛・宇宙はるかに)」(1984年公開)が映画「Wavelength」(1983年公開)の著作権を侵害しているかが争われたWavelength Film Co. v. Columbia Pictures Industries, Inc.事件(631 F. Supp. 305(N.D. Ill. 1986))で、シーン・ア・フェールと認められた一連の要素だ。両作品とも、地球に取り残された宇宙人が、宇宙人を敵視する政府に追われながら、最終的に親切な人間に助けられるというテーマを描いている。この種のSFのテーマを扱う上で不可欠な特徴として、上記の要素があげられた。

しかし、Kurtzによれば、これらは「不可欠」というより「標準的」な要素だ。このテーマを表現する方法は他にもある。Kurtzに言わせれば、「宇宙人はスペースビームで地球にやって来てもいいわけだし、悪の政府に追われる宇宙人を大多数の人々が支持する話であってもいい。宇宙人に友好的な人々が自分たちのために宇宙人を引き留める流れだってあり得る。宇宙人が母星に帰る理由は、迫り来る死ではなく、母星で流行する伝染病に効く血清を持ち帰るということでもいいはずだ」。このように表現が不可欠とまでは言えず、そこに一定の選択の幅があったとしても、Kurtzによれば、上記の要素を後続の著作者から奪い去ることはできない。これらが奪い去られれば、後続の著作者は不自然に歪められた創作活動を強いられることになるからだ。
上記の一連の要素は全て、基本となるテーマから自然に想起されるものであり、Kurtzの言葉で言えば、「状況*に内在している(inherent in the situation)」。このような要素もシーン・ア・フェールに含まれる。

*situationの訳としては、「小説・劇・映画などで、筋を展開させるために設定された状況」(デジタル大辞泉〔小学館〕、2018年8月30日時点)というのがピッタリはまるが、ここでは「状況」とだけ訳す。


Kurtzは、シーン・ア・フェール法理が「著作権の保護を与えない(unprotectible)」法理であることを強調する。重要なことは、「著作物性を否定する(uncopyrightable)」法理ではないということだ。Kurtzによれば、シーン・ア・フェールは著作物の構成要素であるのが通常だ。そのことを前提としつつ、ストーリーの類似がシーン・ア・フェールのみに存在する場合には、原則として実質的な類似(substantial similarity)がないとして、著作権侵害を否定する。

このような法理の位置付けから、著作権侵害の検討に際しては、作品を比較して、類似点を洗い出すことから始めなければならない。作品を比較する前に、一方の作品から著作権保護の及ばない要素を捨象してしまう方法は、誤った判断につながるおそれがある。「作品のプロットを細かく分解していけば、ほとんど全ての要素はおそらくありふれているかアイデアになるが、これらの要素の組み合わせと文章が作品を創作的な表現たらしめている」とのKurtzの指摘は傾聴に値する。シーン・ア・フェール法理を適用する場合にも、複雑な要素の組み合わせが類似するときは要注意だ。

■最後に…、ネタバレ注意!

映画「カメラを止めるな!」は、舞台「GHOST IN THE BOX!」の著作権を侵害しているのか?
報道によれば、「前半で劇中劇を見せて、後半でその舞台裏を見せて回収する」という構成が類似しているようだが、この構成がアイデアにすぎない点はあまり異論ないと思われる。「ワンカットの映画撮影中に起こる数々のトラブルを、役者がアドリブで回避していく」という筋も、アイデアと言っていいだろう。この二点が組み合わさっていても、まだアイデアの域にとどまっていると思うが、意見は分かれるかもしれない。報道によれば、他にも多数の類似点が見られるようであるから、個々の要素が類似する程度を踏まえつつ、その全ての要素の組み合わせとしての「具体的な表現」が類似しているかどうかが検討課題となろう。
シーン・ア・フェール法理の観点からは、廃墟の設定に関する類似が気になるところだ。報道によれば、舞台「GHOST IN THE BOX!」でも、廃墟が撮影現場で、そこで旧日本軍による人体実験が行われていたという設定が同じらしい。いわくつきの廃墟という舞台設定が同じでも、「いわく」の中身は他にも考えられただろう。が、日本で、いわくつきの廃墟と言ったら、旧日本軍の施設というのは割と定番な気がする。また、旧日本軍が施設で行った悪事と言われれば、事実なら恥ずべき歴史だが、人体実験を連想する人は多いだろう。廃墟の設定に関しては、「いわくつきの廃墟で映画を撮影する」という状況に内在するシーン・ア・フェールと言えそうだが、どうだろうか。

以上

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