2017年7月19日
「実演家人格権 ~広すぎる例外規定の悲哀と希望~」
弁護士 桑野雄一郎(骨董通り法律事務所 for the Arts)
■はじめに
実演家の権利については、当事務所の唐津真美弁護士が「実演家の権利について再確認してみよう-北京条約を契機に【前編】」及び「同【後編】」で解説をしていますが、今回はあまり細かく紹介されることのない実演家人格権、特にその悲哀に満ちた例外規定に着目をし、でもまだ希望はあるぞ!と力強く終わるコラムを書いてみました。
■北京条約と実演家人格権
唐津弁護士のコラムにもあるように、実演家人格権は2012年6月に採択された「視聴覚実演に関する北京条約」(Beijing Treaty on Audiovisual Performances)(いわゆる「北京条約」)を締結する前提としての国内法の整備のため、平成14(2002)年10月9日に施行された著作権法改正により新設されたものです。
実演家人格権に対応する北京条約の規定は第5条(1)で、その内容は以下のとおりです。
第5条 人格権
(1) 実演家は、その財産的権利とは別個に、それらの権利が移転した後においても、生の実演及び視聴覚的固定物に固定された実演に関して、次のような権利を保有する。
(i) 実演の利用の態様により省略することがやむを得ない場合を除き、その実演の実演家であることを主張すること
(ii) 視聴覚的固定物の特質を十分に勘案しつつ、実演の変更、切除又はその他の改変で、自己の声望を害するおそれのあるものに対して異議を申し立てること。
(i)が氏名表示権、(ii)が同一性保持権に対応する規定です。日本の著作権法上の著作者人格権のうち公表権(第18条)に対応する権利は定められていません。実演というものが他人に見てもらったり聞いてもらったりするために行われるものであることからすると、公表権のような権利は必要がないと考えられたためでしょう。
では、それぞれの権利について、この北京条約の規定も踏まえつつ、著作者人格権と比較しながらもう少し細かく見てみましょう。
■氏名表示権
著作者人格権の氏名表示権(第19条第1項)と実演家人格権の氏名表示権(第90条の2第1項)を比較すると、以下のとおりです。
著作者人格権 (第19条第1項) |
実演家人格権 (第90条の2第1項) |
著作者は, | 実演家は, |
その著作物の原作品に,又はその著作物の公衆への提供若しくは提示に際し, | その実演の公衆への提供又は提示に際し, |
その実名若しくは変名を著作者名として表示し,又は著作者名を表示しないこととする権利を有する。 | その氏名若しくはその芸名その他氏名に代えて用いられるものを実演家名として表示し,又は実演家名を表示しないこととする権利を有する。 |
その著作物を原著作物とする二次的著作物の公衆への提供又は提示に際しての原著作物の著作者名の表示についても,同様とする。 | - |
二次的著作物についての部分を除くとほぼ同じ内容になっています。これだけ読むと、文化庁は実演家の氏名表示権も著作者と同じように保護しようとしているように見えます。しかし、問題はいずれも第2項以下の例外規定です。氏名表示を省略することができる場合に関する規定(いずれも第3項です)を比べてみましょう。
著作者人格権 (第19条第3項) |
実演家人格権 (第90条の2第3項) |
著作者名の表示は, | 実演家名の表示は, |
著作物の利用の目的及び態様に照らし著作者が創作者であることを主張する利益を害するおそれがないと認められるときは, | 実演の利用の目的及び態様に照らし実演家がその実演の実演家であることを主張する利益を害するおそれがないと認められるとき又は |
公正な慣行に反しない限り,省略することができる。 | 公正な慣行に反しないと認められるときは,省略することができる。 |
アンダーラインで目立たせておきましたが、こうでもしないと違いに気がつかない方もいるのではないかと思います。ご覧のとおり、
① 利益を害する恐れがない
② 公正な慣行に反しない
という2つの場合が定められていますが、著作者の氏名表示は①②を共に満たさないと省略できないのに対し、実演家の氏名表示はいずれに該当すれば省略ができるわけです。もちろん、この2つは完全に重なり合うわけでも、どちらかがどちらかに含まれるというわけでもありません。つまり、著作権法は仮に①の実演家の利益を害する場合であっても、②の公正な慣行に反しないのであれば氏名表示は省略してよいと定めているわけです。実演家の氏名表示を省略する慣行を「公正」かどうかをどのように評価するのかはわかりませんが、おそらくは2012年の法改正当時存在していた実演家の氏名表示を省略する慣行を「不公正」なものと評価しているとは考えにくいところです。とすると、法改正によって新たな権利は創設するけれども、特に従来の氏名表示を省略する慣行を変える必要はない、これまでどおり省略しておけばよいと宣言しているようにも読める規定ではないでしょうか。
ちなみに上述の北京条約の条文では氏名表示を省略することができるのは「実演の利用の態様により省略することがやむを得ない場合」となっています。日本の著作権法は北京条約より氏名表示が省略できる場合をかなり広く認めているように読めます。
ただ、このくらいで驚いてはいけません。もっとすごいのは次の同一性保持権です。
■同一性保持権
氏名表示権と同様に著作者人格権の同一性保持権(第20条第1項)と実演家人格権の同一性保持権(第90条の3第1項)を比較すると、以下のとおりです。
著作者人格権 (第20条第1項) |
実演家人格権 (第90条の3第1項) |
著作者は, | 実演家は, |
その著作物及びその題号の | その実演の |
同一性を保持する権利を有し, | 同一性を保持する権利を有し, |
その意に反してこれらの変更,切除その他の改変を受けないものとする。 | 自己の名誉又は声望を害するその実演の変更,切除その他の改変を受けないものとする。 |
ご覧のとおり、著作者の同一性保持権では「意に反して」の改変が禁止されるのに対し、実演家の同一性保持権では「自己の名誉又は声望を害する」改変が禁止されます。著作者について第4の人格権ともいわれる名誉・声望保持権(第113条第6項)と結合させたような規定です。この結果、実演家はたとえ意に反していても名誉や声望を害されないのであれば自分の実演を改変されても文句が言えないわけです。ただ、この点は北京条約の第5条(1)(ii)で実演家の同一性保持権の対象が(著作者人格権に関するベルヌ条約第6条の2(1)と同様に)「自己の声望を害する」改変に限られていることに対応したものといえます。実演がその性質上利用の際に改変する必要がある場合が多いことを踏まえ、権利の及ぶ範囲を狭く定めたものといえるでしょう。それ自体は理解できるところです。
問題はここでも例外規定です。いずれの条文においても第1項が適用されない場合について第2項が定めていますので、この規定を比較してみましょう。
著作者人格権 (第20条第2項) |
実演家人格権 (第90条の3第2項) |
前項の規定は,次の各号のいずれかに該当する改変については,適用しない。 (中略) ④ 前3号に掲げるもののほか,著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変 |
前項の規定は,実演の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変又は公正な慣行に反しないと認められる改変については,適用しない。 |
ここまで読んでくださった方には不要かとも思いましたが、念のためアンダーラインで目立たせておきました。ご覧のとおり、
① やむを得ない場合
② 公正な慣行に反しない場合
の2つの場合があり、著作者の場合は①の場合に限り改変ができることになっているのに対し、実演家の場合は①②のいずれかに該当すれば改変ができることになっています。第1項と併せて比較するとこうなります。
著作者の同一性保持権 | 実演家の同一性保持権 | |
権利の内容 | 意に反した改変の禁止 (権利の内容が広い) |
名誉・声望を害する改変の禁止 (権利の内容が狭い) |
改変が許される場合 | やむを得ない場合 (例外の範囲が狭い) |
やむを得ない場合 又は公正な慣行に反しない場合 (例外の範囲が広い) |
こうやって比較すると、立法をした人は実演家の同一性保持権などあまり認めたくなかったのではないか、という気すらしてきます。ちなみに上述のとおり北京条約は実演家の同一性保持権の範囲を名誉や声望を害する場合に限っていますが、他方で例外的に改変をしてよい場合については言及がありません。北京条約にない例外規定をわざわざ設けた、それも著作者の同一性保持権にも定められている「やむを得ない場合」に「公正な慣行に反しない」場合を追加したのはなぜでしょう。この「公正な慣行」という言葉について氏名表示権のところで述べたように、新たな権利は創設するけれども、特に従来の改変をする慣行を変える必要はない、これまでどおり改変しても構わないと宣言しているのではないか、と勘繰りたくなります。
それはさておき、実はこの条文にはもっと恐ろしいことが隠されています。そもそも第2項は第1項が適用されない場合、つまり、「実演家の名誉や声望を害するような改変を行ってもよい場合」を定めた規定です。ですから第2項が述べていることは
やむを得ない場合や、それを行うことが公正な慣行に反しない場合は、 実演家の名誉や声望を害するような改変をしてもよい
ということになります。
お気づきになりましたか。著作権法は、実演家の名誉や声望を害する改変を行う慣行が「公正」なものである場合があることを前提としていることになります。ちなみに他人の名誉を毀損すると名誉毀損罪という犯罪になりますし(刑法第230条第1項)、不法行為にもなります(民法第723条)。そんなことを言うまでもなく、人の名誉や声望というものは本来最大限尊重されるべきものですから、
・ それを害するような改変を行う慣行は不公正なものだ!
・ 仮に「やむを得ない」としても他人の名誉や声望を害するような改変は行うべきではない
実演家の人格権を認める法改正を行う以上、立法者にはそう言ってもらいたいところでした。
ちなみに、一般的な名誉毀損では、他人の名誉を毀損する行為が免責されるのは
① 摘示された事実が公共の利害に関するものであったこと(事実の公共性)
② 摘示の目的が専ら公益を図ることにあったこと(目的の公益性)
③ 事実が真実であることの証明があったこと(真実性の証明)
の3要件を満たした場合とされています(刑法第230条の2第1項)。
実演家については、実演の利用によって実演家の名誉を害しても、それがやむを得なかったら、あるいはそれを行う公正な慣行があれば免責されてしまうのでしょうか。
■最後に
実演家人格権については細かく説明をしたものはあまり多くないように思います。それに、氏名表示権についても同一性保持権についても、権利の内容を定めた第1項だけを紹介していることが多いようです。
もともと実演家の権利はワンチャンス主義に象徴されるように、権利のメニューは揃っているものの、大幅な例外が認められているものです。人格権も、今回ご紹介をした例外規定と併せて読むと、何とも悲しい現実が見えてくるように思います。
しかし、悪口ばかり述べていてもいけません。北京条約の趣旨も踏まえ、「公正な慣行」とはどういうものかを詰めて議論をすることで、実演家の人格権にも明るい展望が見えてくるのではないでしょうか。
氏名表示を省略することや名誉や声望を害するような改変を行う慣行が公正なものである場合などありえない、名誉や声望を害する改変を行うことがやむを得ないということもありえない、そういう解釈を前面に出して、このひどい例外規定を死文化させてしまえ、というのはいささか過激かもしれませんが。
以上
法的若しくは専門的なアドバイスを目的とするものではありません。
※文章内容には適宜訂正や追加がおこなわれることがあります。