2009年12月17日
「『不可抗力』を考える ― 新型インフル・パニックを題材に」
弁護士 唐津真美(骨董通り法律事務所 for the Arts)
■新型インフルエンザの隠れた脅威?
この原稿の執筆時現在、新型インフルエンザの流行は、まだまだ勢いが衰えていないようです。日々の業務の中で、アート・エンタテインメント業界にも新型インフルエンザ流行の影響がじんわりと及んでいるように感じます。もっとも端的な例が、新型インフルエンザの流行を理由としたイベントのキャンセルです。たとえば、小・中学校を対象とした児童演劇等のイベントでは、学級閉鎖・学校閉鎖を理由とした直前キャンセルが相次ぎ、公演料を受け取れない劇団側が悲鳴を上げている現状があります。
一般的には、「不可抗力の場合、契約を履行する責任を免除される」とシンプルに考えられているように思われます。この考え方によれば、イベントのキャンセルの場合、「病気の流行は"不可抗力"だからキャンセルは仕方がなく、主催者は出演料を支払わなくて良い」ということになりそうですが、法律の規定や契約(もしあれば)の解釈は、そう単純ではありません。今回のコラムでは、新型インフルエンザの流行を題材に、関連する法律問題について少し考えてみたいと思います。
なお、以下でとりあげたテーマは、専門家の間で様々に議論されている問題も含んでいますが、本コラムでは詳細な議論は割愛してありますので、ご了承ください。
■イベントのキャンセルはできるのか ~ 契約解除が認められる場合
舞台公演等のイベントを主催して他人を出演させる場合、契約書を作成しているかどうかにかかわらず、主催者と出演者の間に出演契約が存在することになります。主催者はイベントを主催し、出演者はイベントに出演し、主催者が出演者に対して出演料を支払う。これが出演契約の基本的な内容です。
契約という観点で考えると、イベントのキャンセルは、主催者側による出演契約の解除だといえます。契約は双方の当事者の合意で成立するものですから、原則として、両当事者が合意すればいつでも解除することができます。しかし、一方当事者による契約の解除は、そう簡単に認められるものではありません。
当事者間で解除について合意がなくても、法律の規定によって、一方当事者に解除権が認められる場合があります。これは法定解除権と呼ばれています。民法では、契約一般に法定解除権が認められる場合として、以下の通り、債務不履行(契約違反)による場合を定めています(民法541条-543条)。
(1) 相手方が契約上の債務を履行せず、相当の期間を定めて履行の催告をしたにもかかわらず、その期間内に履行がない場合
(2) 特定の日時までに、または一定の期間内に履行がなければ目的を達成できない契約において、相手方の履行がないままにその期限が過ぎた場合
(3) 相手方の契約の履行の全部又は一部が不能となった場合(ただし、債務の不履行が相手方の責めに帰することができない事由によるものである場合を除く)
出演契約を例にすると、出演者がイベント当日に会場に現れず、イベントの予定時刻が過ぎてしまった場合、主催者としては、上記(2)に基づいて出演契約を解除することができます。契約を解除すると、主催者は出演料の支払義務を免除されます。さらに、出演者に対して、債務不履行に基づく損害賠償を請求することもできます(民法415条)。
「新型インフルエンザ流行で公演キャンセル」という場合、関連しそうなのは上記(3)です。公演がキャンセルされた場合、出演者としては、出演するという義務を履行することができません。では、主催者の側から出演契約を解除することはできるのでしょうか。ここで問題になるのが上記(3)の「ただし」以下の部分です。契約の一方当事者が契約を履行できないとしても、それが不履行当事者の「責めに帰することができない事由」による場合は、相手方は契約を解除することができないのです。
主催者がイベントの中止を決定したために出演できないという場合、出演できないことについて出演者の側に帰責性はありません。したがって、この場合、主催者としては出演契約を一方的に解除することはできない、という結論になります。
なお、新型インフルエンザの流行がイベント出演契約の履行に影響を与える例としては、出演者がインフルエンザになって出演できなくなるパターンもありますが、これについての検討は、別の機会に譲りたいと思います。
■イベントを中止した主催者に対して出演料を請求できるのか ~危険負担~
イベント出演契約を主催者の側から一方的に解除できないとすると、主催者と出演者の間の契約は残っていることになります。この状況で、主催者がイベントの中止を決定したら、出演者は主催者に対して、出演契約に規定された出演料を請求できるのでしょうか。
このような問題を、法律上「危険負担」の問題と呼んでいます。これは、契約上、両方の当事者が相手方に対して義務を負っていて、一方当事者の義務が履行できない状態になった場合に、他方の当事者の義務も消滅するか、という問題です。
イベント出演契約でいえば、出演者はイベントに出演する義務を負い、主催者は出演者に対して出演料を支払うという義務を負っています。つまり両方の当事者が相手方に対して義務を負っていることになります。もし、大地震が起きてイベント会場のホールが公演前日に全壊してしまえば、イベントの開催は不可能ですから、出演者はイベントに出演することができません。つまり出演者の義務は履行不能になってしまいます。この場合、出演者に対して出演料を支払うという主催者の義務は残るのでしょうか、消えるのでしょうか。出演料の支払い義務が残るとすると、主催者は、イベント主催の利益(入場料収入等)は得られないのに出演料は支払うことになりますから、イベントの履行不能のリスク(危険)は主催者が負担することになります。出演者による出演義務が消滅したことによって主催者による出演料の支払い義務も消滅するとすれば、出演者は本来得られたはずの出演料を得られないのですから、履行不能のリスクは出演者が負担することになります。
イベント出演契約について結論を言うと、法律の立場は、後者です。履行不能によって一方当事者(出演者)の契約上の義務が消滅してしまうと、相手方当事者(主催者)の契約上の義務も消滅してしまうのです。(この原則に該当しないタイプの契約もありますが、ここでは割愛します。)ただし、この原則が出てくる大前提は、(1)「当事者双方の責めに帰することができない事由」(不可抗力)があり、(2)不可抗力によって(因果関係)、(3)一方当事者の義務が履行不能になること、です。
■新型インフルエンザの流行によるキャンセルは「不可抗力」なのか
契約上の義務が履行不能になった場合、その履行不能について当事者の帰責事由があるかどうかが問題になると説明しました。では、新型インフルエンザの流行を理由とする公演キャンセルの場合、「当事者双方に帰責性がない」といえるでしょうか。
たしかに、新型インフルエンザの流行自体は不可抗力です。でも、履行不能が不可抗力によるものだ、と言うためには、新型インフルエンザの流行(原因)と公演キャンセルによって出演義務を履行できない(履行不能)という2つの要素の間に、因果関係がなければなりません。これが、「公演前日にイベント会場のホールが地震で全壊した」というのであれば、原因(地震によるホールの全壊)と結果(イベントの開催不能・出演不能)の間の因果関係は明白です。過去の例では、屋根のない球場で開催予定だったコンサートを、悪天候(開場時刻になっても風雨が強く舞台上を歩けない状態)のために中止したケースについて、「当日の気象状況や時間的制約、人身事故防止の配慮等から主催者が本件コンサートの公演中止を決定したことは、誠にやむを得ない措置であったといわざるを得ない」として、主催者側の帰責事由を否定した裁判例があります。
他方、新型インフルエンザの流行については、現段階では強制力のある外出禁止命令などは出ていませんから、「病気の流行」と「イベント中止」の間に、「主催者の判断」という要素が相当程度入っていることになります。この点が不可抗力の成否の判断を難しくしているところです。「不景気で集客が難しい」というのは、イベント中止の不可抗力事由としては認められないでしょう。不景気自体には当事者の帰責事由はないにもかかわらず、です。そうであるならば、「新型インフルエンザの流行で集客が難しい」というのも不可抗力事由ではない、という議論は十分可能だと思われます。学校での児童演劇公演にしても、行政指導に従った学校閉鎖のケースであれば、公演のキャンセルについて当事者に帰責性はないといえるでしょうが、18クラスのうち6クラスが学級閉鎖、となると微妙な判断になってきます。
このように考えてくると、「新型インフルの流行による公演キャンセルは不可抗力か」という問題に対する答えは、「場合による」ということになりそうです。では、影響を受ける可能性のある当事者は、ただやきもきとして公演当日を待たなければならないのでしょうか。病気の流行状況を予測することは難しいですが、打てる手はあります。「こんな時にこそ契約書」なのです。
■契約書の不可抗力条項
先ほど法定解除権について説明しましたが、法律の解釈だけでは、新型インフルエンザ流行による履行不能について明確な基準を見出すことは困難です。何しろ「新型」なのですから、過去の事例の蓄積もありません。そこで、この点について当事者間であらかじめ合意して契約書に盛り込んでおくことが有益だといえます。契約の当事者が契約の中であらかじめ解除権を留保しておく場合、この解除権を「約定解除権」といいます。解除できる条件を定めている場合もありますし、一方当事者が相手方に通知することによっていつでも契約を解除できると定めている場合や、所定のキャンセル料を支払えば解除できると定めている場合もあります。このような解除に関する契約上の規定は一般的に有効ですが、一方当事者にあまりにも不利な内容の規定は無効とされる可能性もあるので、注意が必要です(民法90条、消費者契約法10条)。
英米法に基づく国際契約には、多くの場合、「Force Majeure (不可抗力)条項」という条項が含まれています。不可抗力条項の中では(1)不可抗力とは何か、(2)不可抗力により契約の履行ができない場合の対応、(3)履行不能のリスクを当事者間でどのように負担させるのか、ということが決められています。
一般的には、火災、地震、ストライキ、戦争、暴動等の事由を多々並べ、その上「その他当事者のreasonable control(合理的支配)の及ばない事由」という一般的な文言まで加えて、それらをForce Majeure Event(不可抗力事由)と定義しています。具体的な不可抗力事由を規定するのは、ある事由が不可抗力に相当するかどうかという紛争をできるだけ回避するためです。2001年の同時多発テロの後には、不可抗力事由に「テロ」を加えた契約書が増え、2002年から2003年にかけてSARSが流行した後には「epidemic(流行病)」を加えた契約書が増えました。
その上で、不可抗力事由による債務不履行の場合は、不履行当事者は損害賠償責任を負わず、不可抗力事由が一定期間継続する場合には、相手方当事者はもちろん不履行当事者による契約解除も可能、と書かれている場合が多いようです。リスクの負担については、当事者間の交渉によって様々な形で規定されています。
国際契約の不可抗力条項は、日本国内における契約においても参考にできると考えますが、不可抗力事由に「流行病」の一語を加えるだけでは十分ではない場合もあるでしょう。確かに、新型インフルエンザに関して言えば、契約書に「不可抗力条項」があり、不可抗力事由に「流行病」が含まれていて、「不可抗力発生時にはいずれの当事者も契約を解除できる」となっていれば、これに基づいて主催者側から契約を解除できる可能性があります。それでも、解除を主張する当事者は、不可抗力事由(新型インフルエンザの流行)が履行不能の原因となっていることを示す必要がありますから、判断が微妙なケースが必ず出てきます。小・中学校における公演のように、新型インフルエンザ流行による公演キャンセルの可能性が相当程度高いと考えられる場合は、キャンセルを認める具体的な条件や、キャンセルした場合の支払いについて決めておく方が良いかもしれません。法律上、危険負担の問題は、どちらがリスクを負うかという100対0の結論になってしまいますが、現実的には、当事者間でリスクを分担する方が公平な場合が多いと考えます。このような柔軟な対応ができるのも、契約書のメリットです。
■最後に
新型インフルエンザの問題は、状況も流動的で、対応に苦慮している当事者も多いと思います。今回は、新型インフルエンザを題材に、契約解除や危険負担といった問題を広く浅く見てみましたが、契約ではなく法律に頼る場合、結果を予測することが困難な場合も多い、ということを感じていただけたでしょうか。これを機に、将来の紛争を防止するという契約書の機能についても見直していただければと思います。
以上
法的若しくは専門的なアドバイスを目的とするものではありません。
※文章内容には適宜訂正や追加がおこなわれることがあります。