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コラム column

2017年3月23日

著作権裁判音楽

「『森のくまさん』を追いかけろ -替え歌と著作権法の気になる関係」

弁護士  唐津真美 (骨董通り法律事務所 for the Arts)


筆者は別に「パロディ専門弁護士」ではありませんが、ちょうど「フランク三浦」の最高裁決定も出ましたし、またしても心惹かれる題材なので、再度パロディ絡みで書かせていただきます。本稿の主役は「森のくまさん」。聞き慣れた童謡の素朴で平和な世界を一瞬にして全く違う風景に塗り替えてしまう、お笑い芸人パーマ大佐の替え歌は衝撃的でした。(本稿ではパーマ大佐の曲を「森のくまさん(パーマ大佐版)」と呼ぶことにします)。多くの人が感じたであろうこの「衝撃」こそが、今回の騒動につながったと言えるでしょう。「森のくまさん」の英語歌詞を和訳した馬場祥弘氏が、パーマ大佐と、「森のくまさん(パーマ大佐版)」を販売するユニバーサルミュージックに対して、「森のくまさん(パーマ大佐版)」の販売差止めと慰謝料などを求める通知書を送ったのです。馬場氏の主張は「同一性保持権」の侵害でした。当事者間の紛争自体は解決済みと報道されていますが、この騒動を振り返りながら、「同一性保持権」って何?というところに始まり、さらに「替え歌って著作権法的にどうなの?」というテーマについて少し考えてみたいと思います。


●「同一性保持権」とは

同一性保持権は、著作物の創作者である著作者が持っている「著作物を自己の意に反して改変されない権利」です(著作権法20条1項)。著作物を勝手に変えられた場合、作品に特に愛着を持っている著作者は精神的な苦痛を受ける可能性が高いことから設けられた規定と理解されています。同一性保持権の侵害が認められる基準は「著作者の意に反した改変かどうか」なので、改変した側の意図は関係ありません。原作の大ファンによる善意(あるいは愛)に溢れた改変であっても、原作者の意に反する限りは同一性保持権を侵害することになるのです。改変の程度の大小は問題とされていないため、些細な改変でも著作者の意に反する限りは同一性保持権の侵害になりえますが、たとえば小学生向けの教科書に掲載するために漢字をひらがなに変える場合のような一定の改変については、同一性保持権の適用が除外されています(著作権法20条2項)。

「著作権は権利の束」と言われることがあります。「著作権」の中には、「複製権」「公衆送信権」「演奏権」などの複数の権利が含まれているからです。「著作権」には「翻案権」も含まれているので、著作権者は作品に勝手な改変を加えるな(翻案するな)と主張することができます。一方、「同一性保持権」はこれらの権利とは若干性格が異なります。「同一性保持権」は作品の創作者である「著作者」が一身専属的に持つ「著作者人格権」の一つだからです。著作者人格権は、著作物に対する著作者(創作者)の人格的利益を保護する権利です。「人格的権利」なので、著作権と異なり、第三者に譲渡することはできず、相続されることもありません(著作権法59条)。作詞家・作曲家が著作権管理のために楽曲の「著作権」をJASRACに譲渡しても、「著作者人格権」は引き続き作詞家・作曲家が持つことになるのです。著作権者に無断で著作物を改変すれば、同一性保持権(著作者人格権のみならず著作権(編曲権・翻案権)も侵害することになるのが原則ですが、馬場氏は、「森のくまさん」に対する著作権についてはJASRACに譲渡しているために、著作者人格権である同一性保持権を主張したものと思われます。
(なお、実際にはJASRACは編曲権・翻案権の譲渡を受けていないため、二次創作などを許諾することはできません。JASRACが管理している楽曲についても、二次創作を希望する場合は権利者から許可を得る必要があります。)

では、本件ではどんな「改変」が加えられたというのでしょうか。この点を理解していただくために、「森のくまさん」「森のくまさん(パーマ大佐版)」 の最初の部分を引用します。


  「森のくまさん」
     作曲:アメリカ民謡
     作詞:アメリカ民謡
     訳詞:馬場祥弘

   ある日森の中熊さんに出会った
   花咲く森の道熊さんに出会った

   熊さんの言うことにゃお嬢さんお逃げなさい
   すたこらさっさっさのさ すたこらさっさっさのさ
         (以下省略)


 「森のくまさん(パーマ大佐版)」 (実際の題名は「森のくまさん」です。)
     作曲:アメリカ民謡
     作詞:アメリカ民謡
     訳詞:馬場祥弘  加詞:パーマ大佐
     
   ある日森の中熊さんに出会った
   花咲く森の道熊さんに出会った

   ひとりぼっちの私を 強く抱きしめた熊
   初めての温もり 体中に染み込んで
   心地よくて流す涙 だけど私はダメな子
   人に言えない過去がある

   色んな事に手を出した 犯罪・ギャンブル・膨らむ借金
   私今追われている だからあなたの邪魔になる

   『そんな君の過去どうでもいい』と奪われた唇
   初めてお嬢さん心開いた

   そこにやってきた警察


   熊さんの言うことにゃお嬢さんお逃げなさい
   スタコラサッササのサ スタコラサッササのサ
         (以下省略)




【YouTube】森のくまさん-パーマ大佐 ウクレレフルver.



●「森のくまさん」の著作者は誰か

「く、くまさんが唇を・・・」という衝撃はさておき、注意深い方はここで気になったかもしれません。「今回権利を主張したのは作曲家や作詞家じゃなくて、"訳詞家"だよね...?」。そうです。JASRACのデータベースに「森のくまさん」と入力すると、歌詞のないいわゆるインスト曲も含めて何と29もの曲がリストアップされています(本稿執筆時点)。その中には、馬場氏が訳詞をした歌詞付の曲(本件楽曲)も含まれています。そして本件楽曲の権利者情報には

訳詞 馬場祥弘
作詞 アメリカ民謡(PD...パブリックドメイン)
作曲 アメリカ民謡(PD...パブリックドメイン)

と記載されていて、訳詞についてのみ、JASRACが信託を受けて管理していることがわかります。(ちなみにインスト曲の場合は、編曲についてのみJASRACが管理しています。)訳詞家や編曲家は、原作の歌詞や楽曲に改変を加えた「二次的著作物」の著作者です。原作の著作権保護期間が満了し、いわゆるパブリックドメインになったからといって、これらの訳詞家や編曲家が、原作に対して全面的に権利を持つことになるわけではありません。二次的著作物の著作権は、二次的著作物において新たに付与された創作的部分のみについて生じ、原著作物と共通しその実質を同じくする部分については生じないとされているからです。たとえて言うなら、ある人が、他人の作ったスポンジケーキ(原作)に素晴らしいデコレーションを施した場合、デコレーションを施した人は、デコレーション部分(二次的著作物において新たに付与された創作的部分)については権利を持ちますが、その権利がスポンジケーキ(原作)に及ぶ訳ではありません。したがって、同じスポンジケーキに他の人がデコレーションすることを止めることはできません。一方、スポンジケーキの持ち主(原著作者)は、他人がデコレーションを施したデコレーションケーキ(二次的著作物)丸ごとについて、二次的著作物の著作権者と同様に権利を主張することができます。(念のため、実際にはスポンジケーキは著作権では保護されません。)

訳詞の場合、原語の歌詞に忠実に訳するとしても、歌った時に楽曲のメロディーにうまく乗るように創意工夫をこらす作業が不可欠ですから、通常の訳詞には創作的部分があり、訳詞家は「訳詞の著作者」として著作者人格権を持つことになるでしょう。しかし、「どのように訳すか」という点に創作性があるのだとすれば、その訳語自体に変更がない限りは、訳詞家の同一性保持権は侵害されないという議論も成り立ちそうです。

上記を見ていただくとわかるように、「森のくまさん(パーマ大佐版)」は、馬場氏の訳詞自体には手を加えずに、独自の(驚くべき)歌詞を挿入したものです。それならば、訳詞家としての馬場氏の持つ同一性保持権に対する侵害は成立しないのでしょうか。


●日本語版「森のくまさん」の創作性

実は、本件の訳詞には、特殊な事情がありました。「原語を忠実に翻訳して楽曲のリズムに合わせた」ものにはとどまらなかったのです。
ここで原語の歌詞を見てみましょう。いくつかバリエーションがあるようですが、一般的なバージョンの歌詞を紹介します。


 「BEAR SONG」 (「One Sunny Day」や「I met a Bear」というタイトルがついていることもあります。)
   
   The other day I met a bear
    Up in the woods A way up there
   
   He looked at me I looked at him
    He sized up me I sized up him
   
   He said to me
    Why don't you run?
    I see you don't
    Have any gun
   
   And so I ran Away from there
    And right behind Me was that bear
   
   Ahead of me I saw a tree
    A great big tree Oh, golly gee
   
   The lowest branch Was ten feet up
    I had to jump And trust my luck
   
   And so I jumped Into the air
    But I missed that branch On the way up there
   
   Now don't you fret And don't you frown
    I caught that branch On the way back down
   
   That's all there is There ain't no more
    Until I meet That bear once more

原語版でもクマは親切に「逃げないの?(Why don't you run?)」と聞いてくれていますが、聞かれた「私」は必死で逃げて、最後は目の前に現れた大きな木の枝に飛びついて逃げ切ります。クマがイヤリングを届けくれるとか、「私」がお礼に歌ってあげるというような、牧歌的な世界はそこにはありません。このように馬場氏の訳詞はオリジナル性が非常に高いため、同一性保持権の判断にあたり作詞家と同様に考えることにも、合理性があると思われます。


●歌詞の追加は、同一性保持権を侵害するのか

原作の歌詞自体は変えずに、言葉を追加したことが問題になった事例として、2007年頃にあった「おふくろさん」事件を思い出す人がいるかもしれません。もともと川内康範作詞・猪俣公章作曲による「おふくろさん」という楽曲(原曲)があり、これを歌手の森進一が歌う際、前奏中にイントロ的なセリフ(別の作詞家が書いたもの)を追加したことに対して、原曲の作詞家である川内氏が抗議した「事件」でした。イントロセリフ付きの森進一版「おふくろさん」が広く知られていたことや、川内氏が「今後は一切歌わせない」と強く主張したことなどから、一連の経緯が広く注目を浴びたのですが、著作権法の観点からは「歌詞には手を加えずイントロのセリフを加えることが、歌詞の著作権や作詞家の著作者人格権の侵害になるのか」という点が地味に議論されていました。

「森のくまさん(パーマ大佐版)」は、オリジナルの訳詞の合間合間に大幅に「歌詞」を追加しています。それでいて、聞いた人が誰でも「オリジナルの訳詞に追加したんだな」と分かるように、オリジナルの訳詞そのままの表現が、効果的に生かされています。また冒頭にも書いたように、結果的にオリジナルの訳詞が持っていた素朴で平和な世界は劇的に塗り替えられていて、そこには新しい世界が創造されています。このように考えると、「森のくまさん(パーマ大佐版)」は、オリジナル訳詞に対する非常に高度で成功した「パロディ」といえます。(パーマ大佐版は劇的なラブスト―リーになっていて、筆者的にはこれはこれで素晴らしいと思っています。)

著作権法上のパロディの取扱いについては、著作者を保護することによってさらなる文化の発展を目指すという著作権法の目的との関係で議論されてきました。パロディは原作を利用しつつ、そこに新たな価値を付し創作的な工夫を加えて送り出される作品です。そのようなパロディを単なる著作権侵害として扱うことが適当なのかという問題意識があるのです。実際に、他国の著作権法の中にはパロディを明文で認める法律も存在していますし、米国著作権法の下では多くのパロディが「フェアユース」として認められていますが、日本の著作権法にはパロディを著作権侵害から除外できる根拠規定がありません。同一性保持権に関しては、「既存の原作をパロディ化したり、もじったことが一見明白であり、かつ誰にもふざけ茶化したものとして受け取られ、原作者の意を害しないと認められる場合については、形式的には内面形式の変更にわたるものであっても、同一性保持権の問題は生じない」という見解 *1 や、「やむを得ないと認められる改変」(著作権法20条2項4号)に該当し、同一性保持権が及ばないと解釈する余地もあるという指摘もあります。また、「森のくまさん(パーマ大佐版)」については、後から付け加えた部分が明らかであり、そもそもオリジナルの改変にあたらない、という意見もあります。とはいえ、パロディが明文で救済されていない以上、馬場氏が本件を訴訟に持ち込んで同一性保持権侵害を主張すれば、馬場氏の主張が認められる可能性は相当程度あったと思われます。もっとも、著作権法上はパロディに対する救済規定がない一方で、たとえばパロディの宝庫ともいえる同人誌の多くは、「ファンがすることだから」と権利者により大目に見られてきました。本件についても、結果的には馬場氏が「森のくまさん(パーマ大佐版)」の演奏やCD販売を承諾して円満解決に至ったとのことですので、パロディを愛する筆者としてはほっと一安心です。


●替え歌は著作権法的に常にNGなのか?

では、いわゆる「替え歌」は著作権法的には常にNGになってしまうのかと言えば、そうとは限りません。翻案権侵害にしても、同一性保持権の侵害にしても、そこで問題になる行為は「改変」です。「改変」というからには、「オリジナルに手を加えた」ことが必要です。歌詞付きの楽曲は、楽曲の著作物と歌詞の著作物がそれぞれ別個に存在し、結合している結合著作物です。メロディーはそのまま使い、歌詞はオリジナルとは似ても似つかないものを新たにつけるというスタイルの「100%替え歌」であれば、楽曲に対しても歌詞に対しても「改変」行為があったとはいえないでしょう

もっとも、「100%替え歌」であっても、歌詞の内容によっては問題になる可能性がないわけではありません。著作権法には、「著作者の名誉又は声望を害する方法によりその著作物を利用する行為は、著作者の著作者人格権を侵害する行為とみなす」という規定があります(著作権法113条6項)。この規定に基づく著作者の権利は、「名誉声望保持権」と呼ばれています。名誉声望保持権侵害については「改変」は要件とされていないので、たとえば、オリジナルの楽曲に作曲家の社会的名誉や声望を害するようなあまりにも下劣な歌詞がつけられた場合には、作曲家の名誉声望保持権を侵害すると認定できる余地もあると思われます。


また、「森のくまさん(パーマ大佐版)」では、オリジナルの訳詞とパーマ大佐による追加の歌詞が一体となっていましたが、1番はオリジナルの訳詞でそのまま歌い、新しい歌詞で2番を作る場合はどうでしょうか。似たような例として、「有名な小説の続編を勝手に書くとどうなるのか」という問題があります。小説の場合、続編では一般的に「本編」のキャラクターや設定を使うことになると思われますが、キャラクターの性格や小説の設定は抽象的な概念であって、それ自体は、著作権法で保護されている「著作物」ではありません。したがって、他人の書いた小説の続編を勝手に書いても、原則の創作的表現を再現するような事情がない限り、著作権侵害には該当しないと考えられます。

とはいえ、他人の書いた歌詞の2番を作る場合は、少し事情が異なります。続編は、外見からしても本編とは明らかに別の著作物として認識できますが、歌の場合は、1番2番と続けて歌うと、それぞれが別個の著作物と観念されない可能性も高いからです。それでも、オリジナルの歌詞に自身の歌詞を完全に入れ込んでしまった「森のくまさん(パーマ大佐版)」と比較すれば、「2番を勝手につくった」タイプの替え歌については、同一性保持権侵害という主張がより難しくなると思われます。


●最後に-実務的(あるいは嘉門的)対応

替え歌といえば嘉門達夫さんが有名です(大好きです)。今回の「森のくまさん」事件に関連して、嘉門さんのところに多くの取材があったそうですが、その取材に対して嘉門さんが「CD化した作品はすべて著作権者の許可をもらっている」と答えていて、感銘を受けました。替え歌界の大御所が「替え歌メドレーなんて本当に大変」とぼやいていた姿も、なんだか素敵に見えました。嘉門さんの替え歌には元歌の歌詞が影も形もない「100%替え歌」も多いので、中には著作権法的には許可を得なくても構わないケースもあったと思いますが、このような真摯な姿勢も、嘉門さんの息の長い活動を支えているのかもしれません。
「著作権法的に問題がなくてもとりあえず許諾を得ましょう」とお勧めすることは、一方で表現の自由の制約にもなりますので、その線引きはなかなか難しい問題ですが、一つのポリシーとしてご紹介したいと思います。

以上


【参考文献】

*1: 加戸守行『著作権法逐条講義〔五訂新版〕』(著作権情報センター・2006年)172頁



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