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コラム column

2011年12月14日

著作権法

「複製権侵害罪における『依拠性』の要件」

弁護士 桑野雄一郎(骨董通り法律事務所 for the Arts)


■はじめに

著作権法の本の「複製権」の項目を開くと,「複製」の要件は「依拠性」と「同一性」である,という説明が書かれています。そして,その根拠として,昭和53年9月7日最高裁第一小法廷判決を引用しています。ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー事件判決と呼ばれている,著作権の本を読んだことがある方は誰でも知っている有名な判決です。

もっとも,この判決は知っていても,この事件で著作権を侵害するとして訴えられた「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」という曲は(昭和の名曲なのですが意外と)聴いたことがないという方も少なくないようです。そういう方は,一度ぜひお聴きになってみて(ちなみに私が好きなのはアイ・ジョージです),訴えた側の「The Boulevard of Broken Dreams」も聴き比べてみてください(ちなみに私は,定番ではありますがやっぱりトニー・ベネットやナット・キング・コールが好きです)。

話を元に戻しますと,ここで言っている「依拠性」の意味について考えてみましょう。

■依拠性についての説明

例えば特許権では,発明の技術的範囲に属する技術的思想を実施すれば,例え発明のことを知らなかったとしても,その客観的事実だけで特許権の侵害であると判断されます。ところが,著作権については,ある著作物と同一性のある著作物を作ったから複製権の侵害になるとは考えません。他の著作物(A)と同一性のある作品(A')ができたとしても,それが他の著作物(A)に依拠することなく,独自に創作活動を行った結果なのであれば,著作権の侵害とは考えないわけです。このような場合にまで著作権の侵害だとしてしまうと,自由な創作活動ができなくなってしまうというのがその理由だろうと思います。つまり,「依拠性」というのは,「独自性=オリジナリティがないこと」と置き換えることもできます。

ところで,この「依拠性」は,他人の著作物をスキャンしたり,トレースしたり,ダウンロードしたりする場合は,依拠している(オリジナルでない)ことが誰の目にも明らかですから,そんなにややこしいことはありません。

ところが,自分の好きな曲のフレーズを利用する場合のように,「複製=コピー」する行為が目に見えない形で行われる場合は,ちょっと厄介です。というのは,出来上がった作品(A')が,他人の作品(A)に依拠したものなのか,依拠せず,たまたま似てしまったオリジナルの作品なのかは,作曲をした人の頭の中を覗いてみないとわからないからです。

そんなこともあり,どういう場合を「依拠した」というのかという,「依拠性」の具体的な意味については,微妙に説明が分かれています。

例えば,①既存の著作物の表現内容の認識と②これを自己の作品に利用する意思の2つに分けて説明をする方もいますし,既存の著作物を利用する事実があればいいのであって,①の「認識」も,②も必要じゃないという方もいます。特に見解が分かれるのは「無意識の依拠」という場合です。本人はオリジナルの曲だと思っているのだけど,実は記憶の底に眠っていた作品が浮かんできたというように,「依拠」についての自覚がない場合も依拠性の要件を満たすと考えるのかどうかです。

「依拠性」については様々な見解がありますが,例えば以下の2つを考えてみましょう。

【A説】  依拠性を①既存の著作物の表現内容の認識と②これを自己の作品に利用する意思2つに分けて説明をする見解
【B説】  既存の著作物を利用する事実があればいいという見解

【A説】の場合は,上述のような場合は依拠性の要件を満たさないということになるでしょう。他方,【B説】の場合は,依拠性の要件を満たすということになります。

■刑事法の視点

さて,ここで少し視点を変えてみましょう。

著作権法は罰則といって,例えば著作権を侵害した人は懲役刑といって刑務所送りになる場合もあるぞ,という規定も盛り込まれています。つまり,著作権法は,殺人罪や放火罪などと一般的な犯罪について定めている刑法の特別法(特別刑法)という顔も持っているわけです。著作権法は法改正が頻繁に行われていますが,罰則についても,刑を重くする法改正がなされていますし,少し前には親告罪の見直しが議論されたこともあります。本稿では,刑罰法規の,つまり犯罪の要件としては,「依拠性」はどのような解釈になるのかを考えてみたいと思います。

■刑事法における客観的要件と主観的要件

犯罪の要件は,原則として客観的要件と主観的要件に分けられます。人にケガを負わせる,傷害罪という犯罪について考えてみましょう。

傷害罪について定めている刑法204条には

人の身体を傷害した者は、
15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

と書いてあります。この規定から,「人の身体を傷害した者」というのが傷害罪の要件だということがわかります。「人」ではなく「動物」を傷害しても(別の犯罪にはなり得ますが)傷害罪にはならないわけです。これを「客観的要件」といいます。

では,人を傷害した者は必ず傷害罪になるかというと,そうではありません。例えば人に向かって石を投げつけて怪我を負わせれば傷害罪ですが,誰もいないと思って草むらめがけて石を投げつけたらたまたまその陰にいた人に命中してしまい,けがを負わせてしまったとしたら,傷害罪にはなりません。なぜなら,この場合,石を投げつけた人に,自分が「人の身体を傷害した者」にあたるという自覚がなく,従って「わざとやった」わけではないからです。このように,傷害罪はわざと,つまり自分が「人の身体を傷害した者になる」とわかっている場合にしか成立しないのです。これを「故意」といいます。「わざとやった」という意味に捉えてもいいかもしれません。

先ほどの例のように,「故意」がなく,つまり「わざとやった」わけではないけど人にけがを負わせてしまったという場合には,―「過失傷害」という別の犯罪にあたるかどうかは問題になりますが―傷害罪にはならないわけです。この「故意」を「主観的要件」といいます。

損害賠償を請求するような民事法の世界では,「故意」(わざとやった場合)も「過失」(わざとではないけど軽率にやってしまった場合)も同列に扱われます。ですから,故意なのか過失なのかはさほど厳密には議論されません。客観的に著作権を侵害する行為をしてした者に対して,故意があった(わざとやった)かどうかはわからないけど,少なくとも過失はあった(軽率にもやってしまった)でしょう,損害賠償責任を負う,という結論になるわけです。

ところが,刑事法の世界では,故意の場合と過失の場合は全く別の犯罪として扱われます。そして,著作権法には,過失の場合を処罰する規定はありません。ですから,故意があれば有罪,故意がなければたとえ過失があっても無罪ということになります。故意の有無は正に運命の分かれ道というわけです。

■複製権侵害罪の客観的要件と主観的要件

著作権侵害の罪(著作権侵害罪)について定めた規定はいくつかありますが,その中の119条1項を見てみると,(ちょっと長いので簡略化しますと)こう書いてあります。

著作権を侵害した者は、
10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

ここでいう「著作権」は,複製権や演奏権などの支分権のことですから,複製権侵害の罪(複製権侵害罪)については,「複製権を侵害した者」というのが要件ということになります。これが客観的要件ですね。そして,故意,つまり自分が「複製権を侵害する者になる」とわかっていて「わざとやった」ということが要件ということになります。これが主観的要件です。

■複製権侵害罪における「依拠性」の要件

さて,「複製権を侵害した者」の「複製」の要件が「依拠性」だと考えると,少しおかしなことが出てきます。

「依拠性」を①既存の著作物の表現内容の認識と②これを自己の作品に利用する意思の2つに分ける,上述の【A説】の考え方を前提としてみましょう。この場合,主観的要件は「自分に①既存の著作物の表現内容の認識と②これを自己の作品に利用する意思があることをわかっていること」ということになります。でも,「自分が『ある事実を認識している』とはわかっていなかった」,ということは,要するに「ある事実を認識していなかった」ということに他ならないのではないでしょうか。また,「自分に『ある意思がある』とはわかっていなかった」ということは,要するに「ある意思」はなかった,ということになるのではないでしょうか。何だかおかしいように思います。

では,既存の著作物を利用する事実があればいい,だから「無意識の依拠」でも依拠性の要件を満たすのだという,上述の【B説】の考え方ではどうでしょう。この考え方では「客観的要件」としての依拠性は,「既存の著作物を利用する事実」ということですから,主観的要件は「自分が既存の著作物を利用していることをわかっていること」ということになります。とすると「無意識の依拠」でも依拠性の要件を満たすという結論は変ですよね。「無意識のうちに依拠していることをわかっていること」が主観的要件になるという背理になってしまいます。

どうしてこんな変な結論になってしまうのでしょう。それは,【A説】の場合は,客観的要件であるはずの「依拠性」という客観的要件の中に「認識」や,「意思」といった主観的な要素を入れ込んでしまったからです。逆に,【B説】の場合は,「依拠性」の中身を「既存の著作物を利用する事実」という形で「認識」や「意思」といった主観的な要素を除外している点はよいのです。ただ,この見解は,無意識の依拠も依拠として認めて,そのまま複製権侵害の成立も認めてしまいます。とすると,「他人の著作物を利用している」ということをわかっていない人も複製権侵害になってしまうという問題があるように思います。


ではどう考えたらいいのでしょう。お前はどう考えるのだ,という質問が飛んできそうですが,字数もかなり多くなってしまいましたので,この続きは次回に,ということにさせていただきます。
・・・と,これで終わっては申し訳ないので,最後にもう一言。


既存の作品(A)と同一性のある作品(A')が創作されたという場合,
  ① Aのことを知っていて,これを真似してA'を創作した場合
があります。これが複製権侵害になることはもちろんです。他方,
  ② Aのことを全く知らず,オリジナルでA'が創作された場合
これが複製権侵害にならないことも,異論のないところだと思います。

問題は,

③ Aのことは知りつつ,無意識のうちにA'を創作した場合
④ Aのことは知っていて,意識もしていたが,自分の思想感情を表現するためにはどうしてもA'にならざるを得なかった場合

ではないでしょうか。この③及び④の場合に複製権侵害罪が成立すると考えるかどうかにが,「依拠性」を含めた著作権侵害罪の客観的要件,主観的要件の捉え方に影響してくるだろうと思います。④は,自分の思想感情を表現するためにどうしても既存の作品と同一性のある表現にならざるを得ないという場合にも,その表現は行ってはならないと考えるのかどうか,という問題にもつながります。パロディやコラージュといった作品に対する考え方にも影響してくるように思います。複製権侵害罪の場合,これに違反すると刑務所送りにもなりかねない問題ですから,慎重に考える必要がありますね。


今回はここまでで筆を置くことにいたします。

以上

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